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「春にして君を離れ」アガサ・クリスティー

2023/06/10公開 更新
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「春にして君を離れ」アガサ・クリスティー


【私の評価】★★★☆☆(77点)


要約と感想レビュー

相手の否定から入る人

主人公は、第二次世界大戦前のイギリスの初老の婦人という設定です。当時のイギリスは中東のイラク、アフリカ、香港、インドなどに植民地を持ち、主人公の息子はアフリカでオレンジ園を経営し、娘は夫と一緒にイラクのバクダッドに住んでいます。弁護士を夫に持つ主人公は、自宅でメイドやコックを雇って家事を管理し、自分の思ったことを夫や子どもたちに押し付ける有閑マダムのような人なのです。


「農業がやりたいんだ」「事務仕事がいやなんだ」という夫に対しては、全否定。代々経営してきた法律事務所を継ぐことを当然のように同意させます。だって、子どもたちを一流の学校にやるには金がかかるし、農業なんかで暮らしていけるのか、不安でたまらなかったのです。娘が結婚すると言い出したときも、主人公はお金持ちで将来有望な彼氏に良い印象を持っていました。しかし、娘は彼氏を愛していないのではないか、単に家を出たいので結婚しようとしているのではないかと言う夫の言っていることの意味がさっぱりわからないのでした。


世の中には、「いや、・・」と相手の話を否定してから話しはじめる人がいます。主人公は、そうした自分ファーストで、周りから浮いていることさえ気づくことができない空気を読めない人なのです。


・ビルは若いし、有力な親類ももっている。自分自身の財産もあるし、前途有望だ。パーバラにとっては願ってもない相手なのに、なぜロドニーは異を唱え、婚約期間を少しでも長くするよう、主張したのだろう?(p211)


内観、瞑想のすすめ

こんな主人公が、イラクのバグダッドで娘が急病になったので、一人バグダッドに向かうことになりました。そのバクダッドからイギリスへの帰りに、トラブルで一週間、ホテルに滞在することになるのです。有り余る時間の中で、空気の読めない主人公は、夫は本当に私を愛しているのだろうか、子どもたちは自分を避けているのではないか、と考え始めるのです。


これがノンフィクションなら、一人になって考える時間を持つことは、安息日や内観や瞑想と似ていると考えるのでしょうが、これはフィクションです。アガサ・クリスティーは、そうした内観の効果を知っていたのだろうか、それとも自分の経験に基づくものなのか、それともモデルとなる人がいたのだろうかなどと考えてしまう自分がいるのです。主人公は過去をもんもんと振り返り、自分の理解していない部分があるように気づき始めます。しかし、主人公の本質が簡単に変わることがあるはずものなく、ただ、夫や子どもたちの気持ちを否定してきた自分の自分本位の姿勢に反省するのでした。


・すべてはわたしの自分本位の考えからではなかったか、とジョーンは思い返していた。わたし自身が農場で暮らしたくなかった、それが真相ではないのか?(p268)


シェークスピアを学びたい

知的興味を引くのは、シェークスピアの「十四行詩(ソネット)」が出てくるところでしょう。友人であった未亡人レスリーは、貧乏の中でがんで亡くなってしまったのですが、死の前に夫と二人で景色を見ているところを主人公は盗み見てしまったのです。そのとき未亡人は夫に対し、「汝がとこしえの夏はうつろわず(thy eternal summer shall not fade) 」と呟いていました。


突然、夫が「汝がとこしえの夏はうつろわず」の引用先を妻の主人公に確認します。そのシェークスピアの詩を暗唱する主人公。なぜ、そんなことを聞くんだろうと不思議に思う主人公は、夫と未亡人との間に何かあったのかなと思いつつも、亡くなってしまった貧乏な未亡人と夫の心の交流など想像もできないのです。詩なんて何が面白いのかと思うこともありますが、だれもが知っている詩を使えば、自分の思いを伝えることができるのです。


・「汝がとこしえの夏はうつろわず・・」、シェークスピアだったね、確か?」「ええ、十四行詩(ソネット)ですわ」・・「君をしも、夏の日にたとうべきか」よ・・「心なき風、可憐なる五月の蕾を揺さぶりて」、だが今は十月じゃないか?(p107)


マウントする人の心理学

後半、ロシア人の貴族の女性と主人公が出会います。貴族の女性は、「ドイツとの戦争がはじまる」と警告します。主人公は、「まさか、そんなことないと思いますけれど」と、いつものように否定からしか入れません。そして主人公は、その貴族といることが不快に感じるのでした。なぜかといえば、貴族の彼女といると、自分が田舎者であると感じるからです。彼女は貴族で、自分は中流階級の女。その現実を感じざるをえないからです。


世の中には、マウントをとる人が多いらしいのですが、優位な位置に自分を置くことで、自分の居場所に安心する人が多いのでしょう。逆に自分の居場所がなくなってしまうと不安でいたたまれなくなってしまうのです。アガサ・クリスティーもそうした人の生態をこの小説で伝えたかったのかと思いました。この小説を読んで、主人公はこの私だ!と思う人がいるかもしれません。その通りだと思います。クリスティさん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言


・バグダッドからロンドンまでは、実質七日間の旅程だった。ロンドンからイスタンブールまでが汽車で三日、アレッポまで二日、テル・アブ・ハミドの終着駅までがもう一晩、それから一日自動車を飛ばして宿泊所に一泊、キルクークまで自動車、さらに列車でバグダッドへ、都合七日になった(p37)


・宿泊所の管理をしているのがいつもきまってインド人なのはどういうわけなのだろうと、ジョーンはぼんやり考えていた(p39)


・子どもたちは、日一日と成長し、それだけ自由に近づくのさ」「自由ですって?」ジョーンは軽蔑的にいった。「そんなもの、いったい、この世の中にありまして?」ロドニーはのろのろと重苦しい口調で答えた。「いや、ないらしいね。きみのいう通りだよ、ジョーン」(p131)


・バーバラには判断力というものがない。だから他人の自己宣伝をすぐ真に受けるのさ。本物とまやかしの区別がつかないんだよ。日常見慣れているものと違った背景で他人を見ると、どう評価していいかわからなくなってしまうんだな(p201)


・あの子のいう通りになんか、させなければよかったんですわ」「しかしね、結局はトニー自身の人生なんだよ、我々の人生じゃなく(p214)


▼引用は、この本からです
「春にして君を離れ」アガサ・クリスティー
アガサ・クリスティー、早川書房


【私の評価】★★★☆☆(77点)



著者経歴

アガサ・クリスティー(Agatha Christie)・・・1890年、保養地として有名なイギリスのデヴォン州トーキーに生まれる。1914年に24歳でイギリス航空隊のアーチボルド・クリスティーと結婚し、1920年には長篇『スタイルズ荘の怪事件』で作家デビュー。1928年にアーチボルドと離婚し、1930年に考古学者のマックス・マローワンに出会い、結婚した。1976年に亡くなるまで、長篇、短篇、戯曲など、その作品群は100以上にのぼる。功績をたたえて大英帝国勲章が授与されている


鉄塔文庫関係書籍

「八日目の蝉」角田 光代
「絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ: 文豪の名言対決」頭木 弘樹
「囚人服のメロスたち 関東大震災と二十四時間の解放」坂本 敏夫
「コルシア書店の仲間たち」須賀 敦子
「掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集」ルシア・ベルリン
「春にして君を離れ」アガサ・クリスティー
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