「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」半藤一利
2019/05/08公開 更新

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【私の評価】★★★★★(90点)
要約と感想レビュー
1976~1978年に雑誌『偕行』に掲載された旧陸軍参謀による座談会「大東亜戦争の開戦の経緯」を再構築したものです。太平洋戦争の前後に陸軍の中枢部にいた高級将校の証言集となっています。陸軍側から見た太平洋戦争の反省会であり海軍側から見たものではないという点を割り引いても、陸軍と海軍の微妙な対立という雰囲気を感じることができました。
同じ国の軍隊ながら、陸軍は海軍に大きく勝ってもらうと困るなどと言っています。まるで、海上自衛隊と海上保安庁の仲が悪いに通じるような気がして、気分が滅入ってきました。日本人はどうしてこうなのか。
・陸軍は、海軍に戦さに勝ってもらわなければ困るけど、あんまり勝ち過ぎて軍艦マーチばかりやられるのは気持ちよくないというような感情も、ずっとありましてね(松田)(p274)
さて、まず考えるべき大きなテーマは日独伊三国同盟でしょう。松岡外相としてみれば、強いドイツと手を結んで対米交渉を有利に進めたいというものだったようです。ところがアメリカを牽制できるどころかアメリカを怒らせるだけだったのです。アメリカは日本を敵視するようになってしまいます。
やろうとしていることと、現実とが全く合っていない。現実の社会情勢が把握できていなかったということなのです。ただ、下の意見が上に報告されない状況にあり、都合の悪い意見は黙殺されたようです。これもまた日本人らしいといえば、日本人らしい。
・僕はアメリカから帰りまして、・・世界情勢を判断するに、近い将来にヨーロッパで戦争が起きる・・他人の喧嘩するところに踏み込むのは、日本の国策上、適当でないというのが結論でした・・・樋口季一郎さんが私の部長(参謀本部第二部)で・・・しこたま叱られました。三国同盟をやろうとしている場合に、このような書類を出すのは、結局三国同盟に入るなという結論ですから・・(杉田)(p30)
また、なぜ勝てない対米戦争を行うことになってしまったのか。そもそも油、鉄など戦略物資をアメリカに依存しており、戦争となれば物資が不足するのは必然です。さらにアメリカの経済規模は日本の数十倍であり、長期戦になれば勝てる見込みはないというのは、だれもが知っていたのです。
つまり、アメリカと戦争しながら、南方から資材を安定的に調達するか、短期間でアメリカが和平に合意するしか、戦争に勝つ可能性はなかったのです。他に道はなかったのか・・・三国同盟を離脱し、時間稼ぎをすることはできなかったのか・・もう少し研究が必要なようです。
・僕は油や鋼材の関係とか物の関係からして、アメリカと戦争しても駄目じゃないかということを話すわけです。当時、燃料課にはアメリカへ行っておられた中村儀十郎さんがいるわけだ。それで聞くと「いや、君、上へは話せないんだよ」という。だから僕は、燃料課長をやっている人が上の方へ話せないなんて「あなた、しっかり言わなきゃいかんじゃないですか」と言っても、もうサジを投げたような格好だった(杉田)(p199)
陸海軍が半目しあい、統合されていなかった。反対の情報が上に行かない雰囲気があった。海外の情勢が分かっていなかった。作戦はあっても戦略(目的)がなかった。こうした欠点は、現在の日本社会にも存在するように感じました。
最後に、明治から昭和となり戦争を知る人が少なくなっていたという発言に納得しました。戦争がいやなら、戦争を研究し、戦争に詳しくなければならないのです。半藤さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・15年9月4日に至って突如として対米軍事同盟に変わってしまうんです。・・松岡洋右外相の胸三寸によって、対英政治同盟が対米軍事同盟に変わる・・僅か三日間で、電撃的に対米軍事同盟が成立します(原)(p23)
・参謀次長か、あるいは部長にアメリカにおいでいただいて・・・生の目で見ていただきたいと意見具申した・・・「アメリカが杉田に、ほんとに、そういうところを見せるはずない。それは、向こうの宣伝だ」・・「お前の言うことは海軍の言うようなことだ」といわれたことを、記憶しておりますがね(杉田)(p70)
・日独伊三国同盟はアメリカを牽制するどころか、唯一の"敵視"すべき大国としてかえって怒らせ、くず鉄の対日輸出全面禁止という敵対行動にださせた・・(半藤)(p76)
・僕は兵站総監部参謀になって、よく、次長(沢田茂)に呼びつけられました。「君は、俺の部下でもあるんだ。あんまり、悲観的なことを言うなよ」と・・・辻(政信)さんなんか、開戦前に、兵站班長でしたが、会議室に入るとき入口で呼び止めて、「お前、この会議に同意するのか、しないのか、同意しないなら、会議したってしょうがない」と・・・言うならば脅迫されたりして、・・・当時の空気では「駄目です」なんて、言えんものがあった(p100)
・連合艦隊司令部から提示されてきた作戦案(ハワイ作戦)をめぐって、軍令部では猛反対で聞く耳もたず。絶対不承知の言葉が渦巻いていました。海軍当局が陸軍にそれを提示することなど、およそありえないことであったのです・・・連合艦隊先任参謀黒島亀人大佐が顔を真っ赤にして言い切りました。「軍令部は総がかりでハワイ作戦を放棄せよというのですか。それなら山本長官は辞職するといっておられる・・・」・・・永野(修身大将)はこういったというのです。「山本にそんなに自信があるというなら、希望どおりやらせてやろうじゃないか」・・・軍令部の参謀たちは、主作戦はあくまでも南方諸島攻略、真珠湾はその支援のための従の作戦として、渋々とこれを認めることにしました(p206)
・戦争準備は、国家の戦争決意なくしてやるべきではないというのが、田中新一作戦部長の強硬な主張です。ところが、海軍はそうではない。なんでもいいから、準備だけやってしまおうというんで、どんどんやってしまっている・・(原)
・対ソ作戦計画がある。対支作戦計画はあるけれども、対南方作戦で対米作戦計画というのはない。そこに、問題があるんです・・・アメリカというものに対する認識が、開戦当初からなかったということです(杉田)(p248)
・南洋委任統治領というものは、ワシントン会議で武装しないということが決められとるわけだ。ところが、あそこの地域は海軍が自分の領域だというような関係があって、陸軍が南洋地域に入るのを余り好まなかった・・・弾薬だってそう大してないんですよ・・長期持久の準備というものは、一つもないわけです(杉田)(p268)
・私どもは太平洋戦面に陸戦が生起するとは夢にも考えていなかったでしょう。陸軍では一兵も配備する計画はないですよ。それは大艦・巨砲、艦隊決戦で、太平洋戦面の作戦は決まると考えていた。だから、軍事専門家の貧困によって、戦略において負けたと私は思うんです(原)(p276)
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【私の評価】★★★★★(90点)
目次
第1章 三国同盟―積極的ではなかった陸軍
第2章 北部仏印進駐―海軍とのかけひき
第3章 南部仏印進駐―アメリカの反応を見誤る
第4章 独ソ開戦―「北進」か「南進」か
第5章 御前会議―まだ開戦に慎重だった陸軍
第6章 東条内閣の成立―開戦への決意
第7章 対米開戦―いかにして戦争を終わらせようとしたのか
著者経歴
半藤/一利(はんどう かずとし)・・・1930年、東京生れ。作家。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役、同社顧問などを歴任。1993年「漱石先生ぞな、もし」で第12回新田次郎文学賞、1998年「ノモンハンの夏」で第7回山本七平賞、2006年「昭和史」で、第60回毎日出版文化賞特別賞を受賞
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