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「日本のいちばん長い日」半藤 一利

2021/03/09公開 更新
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【私の評価】★★★★☆(81点)


要約と感想レビュー

 半藤一利さんが2021年1月に亡くなったということで手にした一冊です。


 太平洋戦争終戦の日を記録した「日本のいちばん長い日」こそ昭和史を探求した半藤さんの代表作と言えるでしょう。陸軍が本土決戦を計画していた中で戦争を終らせることができたのは天皇だけであったということがよくわかります。陸軍によるクーデターの可能性もあり天皇でさえ、戦争を終わらせることができるのかどうかわからなかった。天皇は8月12日に母である皇太后に最後のお別れの面談をしています。


・8月12日にとつぜん天皇が皇太后に会いたいといわれたことを、宮相は胸を熱くしながら思いだすのである。そのとき天皇はいった、「自分はいま和平を結ぼうと思って骨を折っているが、これが成功するかどうかわからない。だから、あるいは皇太后様にお目にかかれるのも、こんどが最後になるかもしれぬ。一目お会いしてお別れを申上げたい(p166)


 8月6日、広島に原子爆弾が投下され、天皇は戦争終結を外相に指示。8月9日、長崎に原子爆弾が投下され、ソ連が宣戦布告した日に、最高戦争指導会議が開催されたものの陸軍の反対もあり会議は結論に至らず。そのため夜11時50分に御前会議を開催し、天皇の御聖断により日本の降伏の方針が決定されたのです。
 連合国側は日本統治の権限は連合軍最高司令官にあるとし、日本側の天皇制の維持への保証を示しませんでした。しかしそのような状況でも天皇は8月14日の御前会議で日本のポツダム宣言受諾を御聖断されたのです。


・天皇は腹の底からしぼり出すような声でつづけた。「空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類に不幸を招くのは、私の欲していないところである。私の任務は祖先からうけついだ日本という国を子孫につたえることである。いまとなっては、ひとりでも多くの国民に生き残ってもらって、その人たちに将来ふたたび起ちあがってもらうほか道はない・・(p24)


 陸軍の中には徹底抗戦派がおり、クーデター計画もあったといいます。天皇の宮城(きゅうじょう)を護る近衛師団では宮城占拠を計画した青年将校が師団長を8月15日1時に殺害。師団長名の偽命令で近衛師団は宮城を占拠し、宮内省に保管されているという玉音盤を探索するものの発見できず。師団長の死と偽命令を知った東部軍管区司令官が出張ることで近衛師団は宮城占拠を解いたのです。その時、阿南(あなみ)陸軍大臣は「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」と書き陸軍相官邸で割腹自殺していました。


・(近衛)師団長が死ぬことによって、全体的な混乱状態におちいる可能性の高かった事件も、あっさりと終止符を打たれたといっていい。叛乱者たちは師団長を葬ることにより、自分たちの失敗を運命づけることとなった(p220)


 昭和天皇は二・二六事件のとき34歳、終戦の時は44歳であったのかと、若き天皇の苦悩を思いました。「私の任務は祖先からうけついだ日本という国を子孫につたえること」という思いに嘘はないのでしょう。クーデーターの危機もありましたが、天皇の存在によりぎりぎり国家としての判断が保持されたという印象でした。半藤さん、良い本をありがとうございました。



この本で私が共感した名言

・ポツダム宣言・・・翌28日の各朝刊紙は内閣情報局の指令のもとに、ポツダム宣言を国民に発表した・・読売報知は「笑止!対日降伏条件」と題して要旨をかかげ「戦争完遂に邁進、帝国政府問題とせず」とうたった。朝日新聞は「政府は黙殺」と二段見出しでかかげ、毎日新聞は「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦を飽くまで完遂」と壮語した(p12)


・国民が玉砕して君国に殉ぜんとする心持もよくわかるが、しかし、わたし自身はいかになろうとも、わたしは国民の生命を助けたいと思う。この上戦争をつづけては、結局、わが国が全く焦土となり、国民にこれ以上苦痛をなめさせることは、わたしとして忍びない・・・少しでも種子が残りさえすれば、さらにまた復興という光明も考えられる。わたしは、明治天皇が三国干渉のといの苦しいお気持をしのび、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、将来の回復に期待したいと思う(p64)


・統帥権の独立を呼号し、政治を無視し、自分の意のままに事後承諾の形であらゆることを遂行してきた陸軍こそ、罰せられてしかるべきなのであろう(p274)


・一億の日本人は軍人精神にのみ生き、この精神のなかに死ぬべきであると彼ら軍人は思い上がった。こうした狷介な精神がさらに増長されて政治に興味をもつ数多くの軍人を生むにいたった。至誠忠節、戦闘に強きが軍人の第一条件ではなくなり、むしろ第一線にでることが懲罰であるかのようになった・・・心ある軍人はそう考えていた(p88)


・米内(海相)の言う憂慮すべき国内事情とは何なのか。政治上層部や官僚や財閥は、明らかに共産革命を考えている。内大臣木戸幸一、近衛、岡田啓介ら和平派が恐れていたのは、本土決戦による混乱であり、それにともなう革命である。和平派が望んだのは、革命より敗戦を!であった(p233)


・負ければ、天皇は沖縄かどこかへ流されることになろう、婦女子は強姦され混血されるであろう、そうした噂が巷間に流れているが、もしそれが真実だとすれば、そんな形で生き永らえてなんの意味があるかとも思うのである(p140)


▼引用は、この本からです

半藤 一利、文藝春秋


【私の評価】★★★★☆(81点)



目次

14日正午~午後1時 "わが屍を越えてゆけ" 阿南陸相はいった
午後1時~2時 "録音放送にきまった" 下村総裁はいった
午後2時~3時 "軍は自分が責任をもってまとめる" 米内海相はいった
午後3時~4時 "永田鉄山の二の舞だぞ" 田中軍司令官はいった
午後4時~5時 "どうせ明日は死ぬ身だ" 井田中佐はいった
午後5時~6時 "近衛師団に不穏の計画があるが" 近衛公爵はいった
午後6時~7時 "時が時だから自重せねばいかん" 蓮沼武官長はいった
午後7時~8時 "軍の決定になんら裏はない" 荒尾軍事課長はいった
午後8時~9時 "小官は断乎抗戦を継続する" 小薗司令はいった
午後9時~10時 "師団命令を書いてくれ" 芳賀連隊長はいった
午後10時~11時 "斬る覚悟でなければ成功しない" 畑中少佐はいった
午後11時~12時 "とにかく無事にすべては終わった" 東郷外相はいった
15日零時~午前1時 "それでも貴様たちは男か" 佐々木大尉はいった
午前1時~2時 "東部軍に何をせよというのか" 高嶋参謀長はいった
午前2時~3時 "二・二六のときと同じだね" 石渡宮相はいった
午前3時~4時 "いまになって騒いでなんになる" 木戸内府はいった
午前4時~5時 "斬っても何もならんだろう" 徳川侍従はいった
午前5時~6時 "御文庫に兵隊が入ってくる" 戸田侍従はいった
午前6時~7時 "兵に私の心をいってきかせよう" 天皇はいわれた
午前7時~8時 "謹んで玉音を拝しますよう" 館野放送員はいった
午前8時~9時 "これからは老人の出る幕ではないな" 鈴木首相はいった
午前9時~10時 "その二人を至急取押さえろ!" 塚本憲兵中佐はいった
午前10時~11時 "これから放送局へ行きます" 加藤局長はいった
午前11時~正午 "ただいまより重大な放送があります" 和田放送員はいった


著者経歴

 半藤一利(はんどう かずとし)・・・1930年、東京生れ。作家。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役、同社顧問などを歴任。1993年「漱石先生ぞな、もし」で第12回新田次郎文学賞、1998年「ノモンハンの夏」で第7回山本七平賞、2006年「昭和史」で、第60回毎日出版文化賞特別賞を受賞


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