【書評】「下山事件 完全版: 最後の証言」柴田 哲孝
2025/07/04公開 更新

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【私の評価】★★★★☆(85点)
要約と感想レビュー
亜細亜(あじあ)産業とは
著者の祖父・柴田宏(ゆたか)は、戦時中はインドネシアでスパイ活動を行っていました。そして、日本に帰国すると、矢板玄(くろし)社長の貿易会社「亜細亜産業」に入社するのです。
亜細亜産業の表向きの業務は、パルプや油の貿易です。しかし、亜細亜産業の四階には、金の延べ棒がぎっしり並んでいたという。そして、この亜細亜産業の三階にはサロンがあり、右翼やヤクザやGHQや政治家などが出入りしていたというのです。
実際、GHQのルー・キャメロンという軍人は「ユタカはスパイだった。GHQのG2(参謀第二部)のウィロビーとも付き合っていた」と証言しています。
そしてこの書籍は、祖父・柴田宏の妹である大叔母が、「下山事件をやったのは、もしかしたら、兄さんかもしれない」と語ったところから始まるのです。
工藤考次郎・・寿恵子が、「雑油の横流しの二重帳簿を作っていた」と名指しする人物。役職は取締役で、事実上のアジア産業のナンバー2・・大叔母によると「林と工藤が汚い仕事をすべて引き受けていた」(p224)
下山事件とは
下山事件とは、昭和24(1949)年7月5日、GHQ占領下にあった日本で、初代国鉄総裁の下山定則(しもやまさだのり)が、日本橋の三越本店で姿を消し、翌7月6日に常磐線で轢死体となって発見された事件です。
死体には血液がほとんど残存しておらず、断裂面には、自殺ならば当然認められるべき生活反応が発見できませんでした。国鉄の人員削減発表直後であり、当初は、「左翼勢力による他殺」という見方が多かったのですが、警視庁捜査一課は自殺という結論を下すのです。意味不明。
下山総裁は失踪する前に、三菱銀行の私金庫に20分滞在しています。死後、私金庫を開けてみると、日本円三万円、ドル札が五枚、株券や自邸の登記書を入れた封筒と一番下からは、春画が出てきたという。下山総裁の実弟は、自殺を決心して私金庫に入ったのなら、春画を残すはずがない、と自殺の可能性を否定しています。
また、GHQ大阪CIC(対敵諜報部隊)の新谷波夫の「7月3日頃に下山総裁の乗る公用車をジープで尾行していた」という証言もありGHQの関与も考えられるのです。下山事件では、多くの矛盾する証言が数多くあり、真相は闇の中なのです。
山口淑子は、自伝「李香蘭」の中に意味深な一言を書いている。「満州鉄道の関係者は裏切り者を処刑する時に、列車に轢かせてバラバラにした」(p354)
亜細亜産業を作った矢板玄
この本のもっとも興味深いのは、亜細亜産業を作った社長 矢板玄へのインタビューでしょう。
矢板玄は、戦時中、上海に矢板機関を作り、スパイ活動を行っていたという。そして、外地で金を稼いで、その資金で日本に亜細亜産業を作ったというのです。さらに、亜細亜産業の後見人は、三浦義一と東条英機だという。
矢板玄の証言では、父親の矢板玄蕃(げんば)と三浦義一と大蔵省の迫水が、組んで、金銀運営会を設立し、戦時に国民から供出させた貴金属を一手に管理していました。戦後は金銀運営会に残った貴金属を、亜細亜産業が管理しており、その金を目当てに、いろいろな人間が亜細亜産業のサロンにやってきていたのです。
結果して、その資金の多くは、吉田茂内閣の政治資金として使ったという。本当なのでしょうか。
矢板玄・・上海に矢板機関を作った・・ごっそり金を儲けてな。それで日本に帰ってきて、亜細亜産業を作った・・おれの後見人は、三浦義一。知ってるか?それに東条英機だ(p283)
松本清張の推理
松本清張は著書「日本の黒い霧」の中で、当時のGHQのGS(民政局)とG2(参謀第二部)が対立しており、反共工作を行っているG2傘下のCIC(対敵諜報部隊)が下山事件に関与したと推定しています。
下山事件の2日前の深夜1時30分頃に、GHQのCTS(交通監理部門)担当官シャグノンが、国鉄の人員整理を7月5日に実施と決定したことに不満で、下山邸にピストルを持って乗り込んでいます。松本清張はシャグノンをG2側の人間としているのです。
GHQのG2のCIC(対敵諜報部隊)には、キャノンなど本郷ブランチの構成員が含まれ、ソ連、中国、北朝鮮に二重スパイを送り込んでいたという。
G2が下山事件に関与したとすれば、「左翼勢力が下山総裁を殺害した」ことにして、国鉄の左翼労組を抑えつけようとしてのでしょうか。
GHQ、特にG2は、自殺論にかなり苛立ちを示していた・・・GHQ文書に次のようなメモが残っている。「プリアム大佐殿 これは悪い報道だ。彼らを黙らせろ。これは自殺ではない。」(p195)
CIAと左翼勢力の暗闘
GHQ占領下の日本は、中国の共産軍の進軍、ソ連の核実験成功、北朝鮮の韓国侵攻などの国際環境から、反共、赤狩りに注力していました。
田中清玄が証言するように、当時ソ連は、左翼の日本人を使って、電力や輸送機関の破壊を目指していました。田中清玄はソ連にリクルートされましたが、逆に電源防衛隊を組織して、ソ連の破壊工作に対抗したのです。
手段を選ばない左翼勢力に対し、CIAも破壊工作を行って、「共産党の仕業と見せかける」工作を計画するような時代だったのです。下山事件もそうした流れの中の一つの工作活動だった可能性があるのです。
現代社会においても、慰安婦や徴用工等の歴史問題を作り上げる工作活動を行っている組織が存在します。戦いは、今も続いているのではないかと感じました。柴田さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・松本清張は「日本の黒い霧」の中で、死体は「国鉄の進駐軍専用列車で運ばれた」とする推論を展開している(p363)
・児玉直三は民同の戦闘部隊、独立成年同盟の活動家の一人で、労働左派の情報通として知られ、当時の加賀山国鉄副総裁も情報屋として使っていた・・・・下山さんとも直接4~5回は合ってますね。下山さんと会う時には、三越地下の室町茶寮によく行きました(p116)
・「エリザベス・サンダース・ホーム」という福祉施設がある・・エリザベス・サンダース・ホームはCIAの支部だったんだよ・・斎藤茂男によると、当時のCIAは他国に進出する時に、まず最初に大使館や教会施設を基地に使ったという。韓国では統一教会もそのひとつだった(p448)
▼引用は、この本からです
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柴田 哲孝 (著)、祥伝社
【私の評価】★★★★☆(85点)
目次
第1章 血族
第2章 証言
第3章 総帥・矢板玄
第4章 検証
第5章 下山総裁はなぜ殺されたのか
終章 慟哭
著者経歴
柴田哲孝(しばた てつたか)・・1957年、東京に生まれる。日本大学芸術学部中退。1986~1988年、パリ~ダカール・ラリーに参戦。毎年、海外の秘境へ釣行するアウトドア派でもある。日本推理作家協会会員
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