「聖徳太子はいなかった」谷沢 永一

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聖徳太子はいなかった (新潮新書)

【私の評価】★★☆☆☆(69点)


■テレビ番組で、
 「聖徳太子ミステリースペシャル」
 をやっていたので、手にした一冊。


 聖徳太子はすごい!というテレビ番組と、
 聖徳太子はいなかった!という書籍とが
 存在するのはどういうことなのか。


 そもそも聖徳太子とは・・・

 日本書紀に出てくる厩戸皇子
 平安時代の頃から聖徳太子と
 呼ぶようになったらしい。


・推古紀の伝にあたる部分に、聖徳という文字が
 一回もあらわれない。ではどう呼んでいるのか。
 皇太子、である。ところで、皇太子という制度は
 この時代にはなかった。・・
 そもそも、天皇という尊称もなかった。
 それなのに『書紀』は平気で、神武天皇をはじめ、
 歴代すべて天皇にしてしまっている(p22)


■その日本書紀は、
 壬申の乱の後に天皇となった天武天皇が
 編纂を命じたものといわれています。


 そうなると日本書紀は、
 天武天皇の正当性を証明する
 内容でなくてはならない。


 その中で、厩戸皇子が
 神聖化されていったのでしょう。


・天武天皇は、天智天応のもと皇太子に
 なぞらえうる地位にあったであろう大友皇子
 (おくり名は弘文天皇)を、壬申の乱で
 死においやって即位した。・・
 それでは今後も皇太子を斃してよいのかね。
 とんでもない、それはイケナイ。皇太子は神聖であるぞ。・・
 聖徳太子の幻像は、政治の必要に対応して
 政治の力でつくられた
(p215)


■記録がほとんど残っていない
 古代の歴史とは、
 罪作りだと思いました。


 なぜなら、今ある記録だけで、
 私たちは想像をめぐらせなくては
 ならないからです。


 だからこそ面白いことろも
 あるのでしょう。


 谷沢さん、
 良い本をありがとうございました。


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■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・日出ヅル処ノ天子、書ヲ
 日没スル処ノ天子ニ致ス、ツツガナキヤ。
 これ、聖徳太子が、中国の隋の皇帝に宛てた国書である、
 と長いあいだ教えられてきた・・
 我が国のいかなる書き物にも、
 ぜんぜん載っていないのである(p7)


・古来、史料として『日本書紀』を研究した人のなかに、
 聖徳神話の記述を真実であると信じた人はいない・・
 聖徳神話は、あきらかに荒唐無稽である。しかし、
 時代がそのようなハナシを必要としていた(p55)


・十七条憲法の劈頭は次の句である。
 一曰、以和為貴、無忤為宗。・・
 一に曰く、和を以て貴しとす、
 さからうことなきを宗とす。・・
 日本人のいちばんいやがる一句である。
 忤、は、さからう、の意。(p88)


・問題は、法隆寺の薬師像、同じく法隆寺の釈迦像、
 そして中宮寺の天寿国繍帳それぞれの銘文である・・
 これらの銘文もまた、福山敏男を
 はじめとする研究によって、
 そこに用いられている、天皇、知識、仏師、などの語、
 あるいは歴代天応の和風諡号(おくり名)など、
 それらはすべて七世紀後半よりのち
 (厩戸皇子の没後ほぼ五十年)
 の作
であることが明らかにされた(p198)


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【私の評価】★★☆☆☆(69点)


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■目次

大いなる遺産―日出ヅル処ノ天子
鎧なき騎士―十人の訴え
鉄の爪―唐の太宗
散り行く花―大津皇子
開拓の道―生まれ変り
偉大な嘘―説話と実録
心の旅路―未来予知
黄金の腕―十七条憲法
戦略大作戦―藤原不比等
恐怖の報酬―逆ラウナカレ


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