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「大御宝 日本史を貫く建国の理念」伊勢 雅臣

2024/08/05公開 更新
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「大御宝 日本史を貫く建国の理念」伊勢 雅臣


【私の評価】★★★★☆(88点)


要約と感想レビュー

大御宝(おおみたから)とは何か

大御宝(おおみたから)とは何かといえば、日本の天皇が国民を「大御宝」と考え、初代神武天皇から国民の安寧を祈ってきたということです。「日本書紀」には、「謹んで皇位に即いて、民を安んじ治めなければならない(恭(つつし)みて宝位(たかみくら)に臨みて、元元(おおみたから)を鎮むべし)」と書いてあるのです。元元は「おおみたから」と読み、国民をさしているのです。


キリスト教には聖書という神話がありますが、日本には日本書紀という神話があるのです。日本の神話では天照大神(あまてらすおおかみ)が、稲穂を地上に下されたことになっています。一方、キリスト教では、アダムとイブが追放され、食料を得るために労働という罰を神が与えたことになっています。著者は食料を得るための労働を罰と考えるのか、神からいただいた食料を育てさせていただいていると考えることの差は大きいとしています。


民を「大御宝」と考え、その安寧を祈る。それを行うために、神武天皇は皇位に就いたのです(p53)

弥生時代に地球が寒冷化

私は東北に住んでいますので、縄文時代や蝦夷の民はどのような生活をしていたのか興味を持っています。まず、縄文文化は1万5千年前に定住を始めていますが、これは1万~1万2千年前に農耕牧畜によって定住を始めたメソポタミア文明よりも古いのです。縄文時代は温暖で海水面も6メートルも高く、木の実やキノコ、イノシシやシカ、ウサギなどを食べていたことがわかっています。縄文時代の山内丸山遺跡には、防御のための濠や柵がなく、争いの少ない時代だったと考えられています。


弥生時代に入ると地球が寒冷化し、水田耕作を行う弥生時代となります。弥生時代の吉野ケ里遺跡では、濠に囲まれ、逆茂木(さかもぎ)で防御されており戦乱の社会であったことがわかります。弥生時代の戦乱を勝ち抜いたのは大和朝廷です。朝廷の内乱である大化の改新後、大和朝廷は蝦夷を支配しようと動き出します。鉄製の武器を持ち戦乱を勝ち抜いた大和朝廷に、蝦夷が勝てなかったのは当然なのかもしれません。


蝦夷・・彼らを朝廷の統治下に置こうとする動きは大化の改新の直後、大化3(647)年に越の国に渟足柵(ぬたりさく)を設けることから始まりました(p129)

天皇は君臨すれども統治せず

天皇の位置づけが大きく変わったのが、鎌倉時代です。天皇は武力を持たず、権威として権力者に正統性を与える、という権威と権力の垂直分担構造が現代まで続くことになったのです。


国民を大御宝と考える天皇の存在が、日本国の一体感の源であると著者は考えています。天皇がいたから元寇に対し、鎌倉武士は命をかけて戦ったのです。朝鮮では祖国を裏切って、元のために働く高麗人も多かったのに対し、祖国を裏切ることはできないと考えるのが日本人の特徴と言えるのでしょう。


織田信長も、天皇の存在を重視していました。信長は資金を出して、約120年中断していた伊勢神宮の式年遷宮を再興させているのです。


鎌倉時代・・・この幕府体制は、江戸幕府まで700年近くも続きました・・天皇が権威として権力者に正統性を与える、という権威と権力の垂直分担構造(p156)

天皇を中心にまとまる日本

天皇を中心としてまとまっている日本に対し、欧米は神を中心としてまとまっているように見えます。戦国時代には、キリスト教の宣教師は日本を支配しようとしました。秀吉はキリスト教の宣教師に対し、奴隷として海外へ連行された日本人を連れ戻すよう命令しています。宣教師は日本人の奴隷売買に関与し、さらにキリシタン大名を利用して、日本侵略の準備をしていたのです。秀吉がバテレン追放令を出すのも、当然の判断だったのでしょう。


19世紀のアメリカ捕鯨では、脂肪を取って残りは海に捨てていました。今日では、アメリカを中心に捕鯨禁止運動が続いています。絶滅するまで獲り尽くしてから、いっさい捕鯨禁止とする欧米の考え方は、石油資源を使いまくりながら、二酸化炭素排出をゼロにしようと強制するのと類似性を感じます。


キリスト教徒のアメリカ人家庭・・Godへの感謝の祈りの言葉を述べていました・・食物を与えてくれたGodへの感謝で、食材の命への感謝とは、全く違います(p14)

日本史の副読本

海外で仕事をしてきた著者が伝えたいことは、天皇をいただく日本という国が、素晴らしい国であり、ご先祖様に感謝すべきであると理解しました。日本はその時代の環境の中で、ベストに近い対応をしてきたのです。それは天皇という制度であり、仏教を取り込み、海外からの侵略にも勇敢に戦ってきた結果が、今の社会を形作っているわけです。


こうした本を読むことで、日本史を楽しく学ぶことができるのではないかと感じました。伊勢さん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言

・冠位十二階は、徳・仁・礼・信・義・智という6つの徳目にそれぞれ大小をつけて12位とし・・「位の高い人物は徳も高くなければならない」という太子の信念が見てとれます(p72)


・天然痘が猛威をふるった天平9(737)年の暮れに、聖武天皇は・・飢餓に苦しみ疾病に苦しむ民を救うべく、恩賜を下し、米穀・湯薬の施与、出挙の利息・田租等の免除など、あらゆる手段を講じてきた(p102)


・1800年頃の西欧の国々と日本での平均寿命を比較・・西欧のいくつかの国では男女合わせて35歳から40歳なのに対し、岡山の藤戸村では男41歳、女45歳、愛知の西方村では男35歳、女55歳(p248)


▼引用は、この本からです
「大御宝 日本史を貫く建国の理念」伊勢 雅臣
伊勢 雅臣、扶桑社


【私の評価】★★★★☆(88点)


目次

序章 日本語に潜む「仕合わせ」への道標
第1章 縄文時代
第2章 神武天皇の建国
第3章 聖徳太子
第4章 奈良時代
第5章 平安時代
第6章 鎌倉時代
第7章 南北朝・室町時代
第8章 信長・秀吉が目指した「天下静謐(せいひつ)」
第9章 江戸時代
終章 世界史にのこる「大御宝」のエネルギー



著者経歴

伊勢雅臣(いせ まさおみ)・・・創刊27年の「まぐまぐ!」殿堂入りメールマガジン『国際派日本人養成講座』編集長。昭和28(1953)年東京生まれ。東京工業大学社会工学科卒。製造企業に就職。社員留学制度によりアメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学。工学修士、経営学修士(MBA)、経営学博士(Ph.D.)取得。平成22(2010)年、海外子会社の社長としてイタリア赴任。平成26(2014)年より3年間、現地法人社長としてアメリカ勤務。平成29(2017)年より、国内にて執筆、講演活動に従事。筑波大学日本語・日本文化学類非常勤講師。公益社団法人国民文化研究会理事。NPO法人歴史人物学習館理事長。


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