「世界が称賛する国際派日本人」伊勢 雅臣
2017/03/16公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(87点)
要約と感想レビュー
人気かつ評判のメルマガ「国際派日本人養成講座」の書籍版です。"国際派日本人"とは、外国語ができる人ではありません。
"国際派日本人"とは、日本の良いところ、悪いところを知り、諸外国の良いところ、悪いところを知り、自分の意見を言える人です。この本(メルマガ)は、"国際派日本人"となるために日本の歴史を再認識するための一冊になっています。
・いまに至ってもサマーワ最大のサマーワ総合病院は20年前の日本のODAによってできたものです。その当時の日本人がどれだけ立派だったか、という話をよく聞いた・・今回ほど、自分が日本人あるいや自衛官であることを誇りに思ったことはありませんでした(番匠一佐)(p44)
この本では、世界に日本人とはこんな民族である!と行動をもって示してきた先人を紹介してもらえます。"国際派日本人"となるためには、まず、日本人の良いところを知り、日本人としての誇りを持つことでしょう。
そしてまた、日本人の弱点も知る必要があります。歴史を見れば、軍事上の戦争・紛争は続いており、経済・ビジネスも形を変えた戦いと考えることができます。「騙されるほうが悪い」という世界があるのも事実なのです。
さらに、政治の上でも反日教育、反日政策を行っている国家が存在していることを認識しなくてはなりません。
・当時の韓国では、李承晩大統領の十二年間におよぶ排日政策の結果、反日感情が横溢していた。小学校から、中学、高校と反日教育が施され、「電信柱が高いのも、ポストが赤いのも、みんな日本が悪いから」と揶揄されるほどであった(p200)
多くの日本人は平均して見れば、諸外国に比べればまじめで、親切で正直です。そうした先人の素晴らしさを引き継ぎながら、先人の誠意が踏みにじられることもあった事実を知ることだと思いました。
伊勢さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・大村智(さとし)教授・・四千万人を感染症から救ったノーベル賞化学者の志・・夜はこうして必死に勉強に取り組んでいる夜間高校の生徒たちを見て、自分はもっと何かをしなければ済まないという気になった(p11)
・明治三十三(1900)年、パーク・デービス社の技術顧問となっていた(高峰)譲吉は、研究助手・上中啓三とともに、アドレナリンの純粋結晶の創製に成功した(p234)
・満州ハルピンの夜・・カウフマン博士が訪ねたのは、八月にハルピンに赴任してきたばかりのハルピン特務機関長・樋口季一郎少将である・・ハルピンで極東ユダヤ人大会を開催するのを許可してほしいということだった・・樋口は即座に快諾し、博士を励ました(p130)
・(イラク)サマーワ市民による百人規模のデモ行進が行われた。スローガンは「日本の宿営地を守ろう」というものだった・・もっともこうした事実は、日本のマスコミはほとんど伝えなかった・・サマーワで行われた「パレスチナ支援デモ」では、二十本ほどの横断幕のたった一つに「自衛隊は撤退すべきだ」と書かれていただけで「反日デモ」などと報じた新聞があった。偏向報道もここまでくれば、確信犯という他はない(p35)
・第一次上海事変とは、一月十八日に日本人僧らが中国人に襲撃され、一人死亡、二人負傷した事件をきっかけに、日本海軍陸戦隊と蒋介石軍との間で始まった武力衝突である(p144)
・「台湾独立」の完成・・大陸から逃げ込んだ中国人(外省人)が、言語、風俗、歴史も異なる台湾人(内省人)を支配してきた構造は、1987年まで台湾語による放送が禁止されていたことからも窺えるように、一種の外来政権支配であった。蒋介石外来政権からの台湾人の解放を意味していたのである(p180)
・(朝鮮王朝の)垠の父、李大王は方子妃との婚儀を大変に喜んだという・・大正九(1920)年四月二十八日、東京六本木・鳥居坂の李王邸で結婚式が執り行われた。婚儀に反対する朝鮮人大学生が、ピストルと爆弾を持って李王邸潜入を企てたが、朝鮮人刑事が検挙して事なきを得た(p195)
・清国皇帝は、アヘン戦争に敗れても時代の趨勢に気づかず、結局、辛亥革命で廃位されられた。朝鮮王家は、清国、ロシア、日本のそれぞれの外国勢力を頼もうとする勢力の内紛に翻弄され、日本との合邦下では皇族として処遇されていたものの、終戦とともにその地位を失った。ロシア皇帝は専制君主のまま、共産革命の最中に惨殺された(p244)
▼引用は下記の書籍からです。
扶桑社 (2016-09-29)
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【私の評価】★★★★☆(87点)
目次
第1章 現代社会で称賛されている国際派日本人
第2章 戦いに敗れし後も
第3章 荒海での戦い
第4章 一視同仁
第5章 近代西洋文明への挑戦
著者経歴
伊勢雅臣(いせ まさおみ)・・・創刊23年のメールマガジン『国際派日本人養成講座』編集長。読者5万人。昭和28(1953)年東京生まれ。東京工業大学社会工学科卒。製造企業に就職。カリフォルニア大学バークレー校留学。工学修士、経営学修士(MBA)、経営学博士(Ph.D.)。社業のかたわら、私立大学の商学部・工学部で非常勤講師として「産業界の偉人伝」を講義し人気を呼ぶ。平成22(2010)年、ヨーロッパ子会社の社長。平成26(2014)年より3年間、アメリカ法人社長。
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