「壬生義士伝(上・下)」浅田 次郎
2010/07/28公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★★(93点)
要約と感想レビュー
新選組に出稼ぎ
本のソムリエは、青森県八戸育ち。南部の男です。そして、幕末の新撰組に、南部藩を脱藩した吉村貫一郎という男がいました。その吉村寛一郎を中心に、この物語は進んでいきます。
南部藩の足軽であった吉村貫一郎は、文武に才能を示しますが、足軽は足軽。貧困の中から脱藩して金を故郷に送るために上京します。そして、新撰組に入隊するのです。新撰組では守銭奴とバカにされながら、多くの人を斬り、手柄を立て、妻子へ金を送りつづけます。今でいう出稼ぎでしょうか。
御一新ののち、会津藩は下北半島さいはての地、斗南(となみ)へと国替えになった・・・もっとも、斗南は三万石どころか満足に米など育たぬ不毛の凍土じゃ。(下p79)
知恵と笑顔を持った男
武術の達人でありながら、家族を大切にする男。地味で田舎くさいのに、知恵と笑顔を持った男。不運のなかでも、努力でその運命を全うする男。バカにされながらも、誰からも愛された男だったのです。
南部の男を浅田さんに表現してもらって、涙が出てきました。南部の男は口はうまくないが、けっこう頑張るんですよ。浅田さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・「南部の子だれば、石ば割って咲け」という吉村先生の訓(おし)えに支えられて、誰もが努力を重ねることができたのです。(下p134)
・私たち奥羽列藩も、実は錦旗を奉じていたのですよ。「東武天皇」というお名前で私たちが推戴しておりましたのは輪王寺宮様―先帝明治天皇の父君孝明帝の御皇弟にあらせられます(上p179)
・薩長の恨みを一身に買い、恭順せる慶喜からすべての責任を押しつけられた会津を、どうして見捨てることができよう(下p74)
・薩長の私怨のために発せられた勅命は、畏れ多いことではありますが誤りであったと言うほかはない。九条総督は大要を理解せられ、いったんは嘆願書を受理なさったのですが、これはたちまち長州人の参謀である世良修蔵らによって却下されることになった・・・会津討伐どころか、会津藩に最も同情的であった庄内藩まで討伐せよとの命令が、諸藩に対して発せられたのです(上p185)
【私の評価】★★★★★(93点)
著者経歴
浅田 次郎(あさだ じろう)・・・1951年生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞受賞。1997年『鉄道員』で直木賞受賞。2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞を受賞。その他著書多数。
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最近感動した本は、「壬生義士伝」です。
内容は
新撰組の活躍の中に生きた南部藩出身の
吉村貫一郎の話です。
同じ東北出身として身近に感じられる人物像
です。(実直で忍耐強いなど)
回想シーンにて様々な人からの証言を元に
人物を多角的に語られていきます。
司馬さんの時代小説もそうですが、その時代の
空気感と武士の覚悟が細かく描写されており
話に吸い込まれる、浅田さんの作品と思います。
現在においても【どのように生きるのか?】
考える機会をもらえるのが時代小説の良さの
ひとつかと思います。