「[新装版]人を活かす経営」松下幸之助
2004/07/16公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(75点)
要約と感想レビュー
松下幸之助の言葉にはしびれるような迫力があります。それは何でしょうか。それは「熱心さ」です。思わず感心してしまう「熱心さ」です。
例えば、商品を売りに行って、値切られるとします。そんなとき松下は自信を持って、この商品は我々が熱心に作ったものなのです、どうか買っていただけませんか?と取引先の主人に語りかけるのです。松下は本当に熱心ですから、その迫力がこの言葉から伝わってきます。
また、銀行の融資を受けるとき、担保を要求されたときのことです。当時の松下電器にとってはよい条件でしたが、松下電器がさらに発展するためには、「信用」を育てなくてはならないと考え、次のように答えます。
・お話は大変ありがたいのですが、しかし不動産を担保にして借金することは、やはり今の松下電器にとっては好ましくないと思います。まことに申し上げにくいのですが、これはひとつ無条件貸付にしていただけないでしょうか(p210)
これは、最初のトランジスターラジオをアメリカに売りに行った盛田昭夫がブローバ社からの大量発注を断ったのと似ています。ソニーブランドを世界に広めようと考えていた盛田は、ブローバ社という商標を付けて売ることを拒否しています。妥協すべきは妥協し、妥協すべきでないところは妥協しない。こうした判断が私にできるだろうか、と感じました。
松下幸之助の話を聞いていると、十年後、二十年後の姿を思い描き、現在とそこへレールを敷き、組織全体をそのレールに乗せていこうとする、その熱心さこそ経営というものだと思いました。
この本で私が共感した名言
・原価は二十銭ですから、二十三銭にできないことはありません。しかし、ご主人、この商品は私を含めて従業員が本当に朝から晩まで熱心に働いてつくったものです。原価も決して高くついていません。(p27)
【私の評価】★★★☆☆(75点)
著者経歴
松下幸之助(まつした こうのすけ)・・・1894年、和歌山県生まれ。1918年、松下電気器具製作所(のちに松下電器産業株式会社)を創立。1946年、PHP研究所創設、PHPの研究と運動を始める。1979年、(財)松下政経塾を設立、理事長兼塾長に就任。1989年、94歳で永眠
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