「戦後経済史」野口 悠紀雄
2016/07/13公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(79点)
要約と感想レビュー
■大蔵省から大学教授となった
野口さんの見た戦後日本の
経済の歴史です。
大蔵省の中から見ると、
戦後の経済復興は、
戦時態勢の中で達成され、
今も続いているらしい。
なぜなら、戦後も
1940年代に作られた戦時管理体制と
官僚機構が維持されたからです。
・戦争経済の実態を操っていたのは大蔵省や軍需省(商工省)などの経済官庁だったのですが、占領軍はそうした構造を理解していませんでした(p26)
■現在の官僚機構の欠点は、
官僚の裁量で政策が
決定してしまうことです。
その決定は、公に議論されず、
結果として大失敗だとしても
誰も責任を取る必要はなく
うやむやになってしまう。
審議会を通じた政策決定は、
第三者をかませているだけ
まだましと言えるのでしょう。
・審議会制度・・遂行したい政策を、自分からは決して言わない。学者などを集めた審議会を作り、そこから自分たちが希望する内容の答申を出させ、「ありがたい答申をいただきまして」と押し頂いて、政策を実施するのです(p54)
■日本の歴史よりも
大蔵省の雰囲気が面白く読めました。
当時の大蔵省では、
行政指導と称して、
証券会社の経営に口を
出していたらしい。
野口さん、
良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・大蔵省・・先輩からいくつもの処世術を伝授されました。たとえば、「廊下を歩くときは、必ず書類を持て。手ぶらで歩くと能無しに見られる」「しかし、課長になったら、書類は部下に持たせ、自分では持つな」(p97)
・異次元金融緩和の名の下に、日本銀行が異常なほど大量の国債を購入しています。将来その国債は値下がりし、日銀に損失が発生するかの末井が極めて高いのです・・しかし、そのことが問題として議論されていません・・表沙汰にならないように実施し、うやむやな形で処理してしまう。(p257)
・政府は、1997年に、不良債権の処理を進めるために、不良債権償却証明制度を廃止・・銀行にすれば、不良債権を処理すれば損金扱いされて法人税がそれだけ減る・・90年代以降、法人税等の税収が激減しているのですが、その大きな原因がここにあったことが分かります(p255)
・日銀特融は証券会社を目先の危機からは救いましたが、その代わりに体質転換の機会を失わせてしまったのではないか。私はそう考えています(p121)
・住専問題の処理を手始めとして、・・長銀に投入された公的資金の総額は6兆9500億円・・あおぞら銀行(旧日本債権信用銀行)の分と合わせると、11兆円超の公的資金が投入され、うち7兆7622億円の損失が確定・・国民負担は、2003年3月末までに10兆4326億円に上がりました(p250)
・日債銀破綻の元凶を挙げるとすれば、82年に頭取に、87年に会長に就任して、「暴力台でもいい。担保がなくてもいい。とにかく貸しまくれ」と融資拡張の大号令をかけたとされる、頴川史郎氏のはずです。しかし、氏は時効により刑事立件を免れました。97年の役員退任時に氏が得た退職金は、約6億円と言われています(p266)
・日本の出版統計を調べていたところ、書籍の販売金額も96年がピークだったことを知って、ショックを受けました(p291)
・日本の「高度成長」とは、農業社会が工業化していく過程でした・・50年には49%を占めていた農林業従業者の比率は・・60年代末には12%に減少しています(p80)
・土地の利用度が低い・・・日本では借地権が非常に強い権利であるために、一度土地を貸すと、取られたも同然・・・本来なら借地として有効利用するべき土地を、地主は借地にしないで、空き地のまま放置している(p224)
・「働かなくても豊かになった」という人がどんどん出てきたら、それは世の中が間違った方向に向かっている証拠です(p312)
・介護問題は、日本全体の所得を増加させることによってしか解決できないからです。在宅介護が不可能な人を収容し、十分なサービスを与えるためには、日本経済が全体として使える資源総量がいまより増えなければならない(p315)
【私の評価】★★★☆☆(79点)
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目次
第1章 戦時体制が戦後に生き残る 1945-1959
第2章 なぜ高度成長ができたか? 1960-1970
第3章 企業一家が石油ショックに勝った 1971-1979
第4章 金ぴかの80年代 1980-1989
第5章 バブルも40年体制も崩壊した 1990-1999
第6章 世界は日本を置き去りにして進んだ 1980-
エピローグ--われわれがいまなすべきは何か?
おわりに 「頭の中にある40年体制」を克服できるか
著者経歴
野口 悠紀雄(のぐち ゆきお)・・・1940年生まれ。1964年大蔵省入省。1972年エール大学留学。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。
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