「「峠」時代の創造と勤勉 (日本を創った戦略集団)」堺屋太一、宇野宗佑、山本七平、神坂次郎、佐藤雅美、中川八洋
2014/11/06|

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【私の評価】★★★☆☆(75点)
内容と感想
■15世紀からの戦国時代は、
日本の経済が飛躍的に発展しました。
利水と灌漑。
新種の作物。
鉱山開発。
15~16世紀に日本の人口は
二倍になったそうです。
さらに徳川幕府により
治安が良くなり産業が発達し、
元禄時代までに
人口はさらに二倍になったのです。
・元禄時代になると、・・・鉱山資源も掘り尽されて枯渇、金、銀の生産は急速に減少する(p13)
■ところが元禄時代になると、
経済は停滞します。
開墾できる土地がなくなる。
資源が枯渇する。
人口も停滞します。
この元禄以降の非成長時代、
日本社会は安定していましたが、
幕府の財政は悪化。
この本でいう「峠」時代とは、
18世紀元禄の頃です。
・第三代将軍家光のころになると急激に財政が悪化、四代家綱の時代に至って先代からの貯えを使い果たしてしまう・・実際には働きのあに武士の増加や、江戸の大火の復興援助などの支出増加によるところが大きい。政府の財政を悪化させるのは、いつでも軍事費か、そうでなければ過剰雇用とばら撒き福祉だ(p47)
■当時も財政再建に命をかけて
取り組む人がいました。
そして停滞の時代にも
商人は商売をしていたのです。
いつの時代にも、
人は生きていけると感じました。
堺屋さん、
良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・浪人は、身分的には「武士」の範疇とみなされていたが、経済的には失業者だから最貧層に属する。それだけに徳川時代の武士が浪人になるのを恐れたことは、今日のサラリーマンが解雇を恐れる比ではない(p43)
・徳川幕藩体制の巧妙な人事組織政策・・・格式による満足感の拡大は、「禄(収入)と権(権限)と位(階級)の分離」(p50)
・中世の商業は一定の場所に定住して行うのではなく、一定の商品の専売権を与えられた座が、ほかの座の営業区域を相互に侵さないというしきたりで行われた。・・互いに紛争が絶えなかったものらしい(p85)
・近江商人はそれぞれ家憲・家訓・店規・店則を作り、また「三つ割銀」と称し、五・三・二の配分率で、純利益を本家納め、本店積み立て、店員配当に分けた・・このことは丁稚・番頭など従業員に勤労意欲を持たせ、
店に対するロイヤリティーを高めるという成果を上げた(p106)
・重臣七名は、鷹山派の家臣に出勤停止の命令を出しておいて、四五カ条からなる訴状をもって鷹山に謁し、訴状のとおりにするか、それとも藩主をやめるか、さもなくば幕府に訴えるぞ、と恫喝し迫ったのである(p251)
・恩田木工の財政再建は・・藩内の武士も農民も全員が、木工に対して絶対的な信頼と信用を寄せたことが、その財政再建策への円滑な実行の基盤となっている・・財政再建の執行の前に、妻との離縁、子供への勘当、家来全員の解雇の決意は、この"去私"と"死の覚悟"なしでは決してできるものではない(p276)
▼引用は下記の書籍からです。
集英社
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【私の評価】★★★☆☆(75点)
目次
「ゼロサム社会」の苦悩が生んだ知恵と抵抗
忠臣蔵の人間学―裏切られた順応者の反乱
近江「商い集団」の群像―情報戦略と行動力
石田梅岩心学と商人たち―日本資本主義の精神を開いた人々
吉宗・宗春、徳川の改革と放漫―泰平の世の理想と現実
田沼・松平にみる進歩と抑圧―意次を粉砕した定信の怨念
上杉鷹山と恩田木工の改革集団―財政再建を成し遂げた男たちの素顔
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