「建業の勇気と商略 (日本を創った戦略集団)」集英社
2012/03/29|

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【私の評価】★★★☆☆(73点)
■明治維新は、混乱とともに日本の国が
大きく転換した時期でした。
そうした混乱の中でも、
人は生活し、行き続け、
社会の仕組みを変えていったのです。
その時代に生きた人たちを
観察してみるという一冊です。
・日本人留学生の多くは、「欧米新知識」
の持ち主として日本社会で歓迎され、
明治の政治や産業の発展を主導する立場に立った。
モロッコの留学生たちは「風変わりな西欧かぶれ」
と見られ、祖国の社会に受け入れられることもなく、
外国企業の下級書記として
悶々の生涯を送らざるをえなかった(p18)
■この本では、明治時代から
三菱を作った岩崎弥太郎、
近代経営の父 渋沢栄一、
九州の筑豊炭鉱を経営した中原嘉左右、
武田薬品工業の歴史・・・
と盛りだくさん。
教科書と歴史小説の中間のような感覚で、
歴史の副読本として、
ちょうどいいのです。
・三菱が外国人を多数雇傭したのも、
事業会社としては多く例を見ない・・
明治九年の三菱雇傭者は邦人1351名で
外国人は388名である(p58)
■この本を読むと、
明治の時代は、革新による適者生存の
競争の時代であったとわかります。
数多くの新参者が、
生存をかけて試行錯誤し、
生き残った人と企業が
次の日本を作ったのです。
集英社さん、良い本を
ありがとうございました。
■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・いったん沿海の航海権が外国人の手に帰してしまえば、
平時には内地商民の業を奪われ、
戦時にはよい形勢を占められてしまう。・・・
沿海貿易の大権を挽回しよう。
もしこれに成功するならば、
ただ我が社の幸福のみならず、
実に我が日本帝国の光輝を広く照らすことに
なるであろう(岩崎弥太郎)(p49)
・道修町の薬種仲間でも、洋薬に力を入れていたのは
ごく少数だった。このごく少数派の中に、
武田長兵衛(武田薬品工業)のほか、
田辺五兵衛、塩野義三郎がいた。
田辺五兵衛の店は田辺製薬として・・・
塩野義三郎の店も塩野義製薬として
現在に続いている(p196)
・芝川家・・この一族の所有している
「千島土地株式会社」や「百又不動産」・・
千島土地株式会社の所有地だけを見ても
大阪市内の98万平方メートルをはじめ、
兵庫県西宮市、福岡市などあわせて112万7000平方メートル
(約34万坪)に及んでいる(p231)
・関ヶ原の合戦には、東西両軍合わせて
六万挺の鉄砲が使用されたというが、同じころ、
ヨーロッパ最大の陸軍であったフランス軍にも、
鉄砲は一万挺程度しかなかったという(p11)
【私の評価】★★★☆☆(73点)
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