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【書評】「ヒロシマを暴いた男 米国人ジャーナリスト、国家権力への挑戦」レスリー・M・M・ブルーム

2025/09/09公開 更新
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「ヒロシマを暴いた男 米国人ジャーナリスト、国家権力への挑戦」レスリー・M・M・ブルーム


【私の評価】★★★☆☆(77点)


要約と感想レビュー


「ニューヨーカー」誌が「ヒロシマ」掲載

宮城県の立ち飲み屋「鉄塔文庫」で行われている「いろは横丁読書会」の課題図書なので読破。


1946年8月31日、雑誌「ニューヨーカー」は、1945年に広島に投下された原子爆弾による被害を描写した記事「ヒロシマ」を、広告なしで誌面をすべて使って掲載しました。執筆したのはジョン・ハーシー記者。ハーシーは広島の街を見て,一つの爆弾によってこれほどの被害が出ることにショックを受けたのです。


ハーシーは、被爆したドイツ人のクラインゾルゲ神父、谷本牧師、三人の幼子を持つ中村初代、広島赤十字病院の佐々木医師、個人診療所の藤井医師、事務員の佐々木とし子を取材し、6人の視点から原爆の悲惨さを描写することにしたのです。


原稿は編集長ハロルド・ロスと副編集長ウィリアム・ショーンによって編集され、一括掲載が決定。そして、「ニューヨーカー」掲載前に、記事を検閲に出すことに決定されるのです。そして、記事を検閲したのは、マンハッタン計画の責任者レズリー・グローヴス中将であったという。


アメリカでは、原子爆弾の惨劇を、できるだけ公表しないようにしてきました。しかし、記事を検閲したグローヴス中将は、感情的な文言を削除しただけで、なぜか発行を了承するのです。


アメリカは,この国の陸軍長官が言ったように,「ヒトラーよりもひどい残虐行為をしたという評判」が立つのを望まなかった(p22)

「ヒロシマ」の惨劇

「ニューヨーカー」に掲載された、「ヒロシマ」は爆心地に近い場所にいた6人の体験を綴っています。


クラインゾルゲ神父は,爆弾投下後,熱やめまい,下痢,白血球数の激減に襲われました。クラインゾルゲ神父がきれいな水を求めて外へ出てみると、何十もの,腐敗し,火ぶくれし,皮膚のはがれた人を踏み越えなければなりませんでした。


大通りは裸の黒焦げの死体でいっぱいで、水を持って帰るときには、日本兵の集団に遭遇したという。みんな,「水がほしい」と言いながら、彼らの目は,眼窩が溶け落ち、液体が頬に流れ落ちていたというのです。


谷本牧師は近くの丘に上がり、広島の惨状を見ていると、血まみれの生存者たちが,列をなして山腹の道をのぼりはじめたという。多くは裸で顔や手,腕や胸の皮膚が剥けて垂れ下がって幽霊の行列のようだったという。


「はだしのゲン」のような世界が、雑誌「ニューヨーカー」に掲載されたのです。


爆撃を生き延びた者たちの多くが,髪が抜け,吐血し,皮膚に気味の悪い赤黒い斑点ができて,苦しみながら死んだ(p111)

それまでの広島についての報道

「ヒロシマ」が掲載される1946年、東京の連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)は、報道を規制しており、記者たちも日本の戦争犯罪裁判を記事にしたり、天皇も裁判にかけて絞首刑にすべきかどうか議論していたという。


原爆投下後に初めて広島に入ったUP通信社の記者レスリー・ナカシマは,人口30万人の広島はまともに建っている建物は一つもなく、広島は瓦礫と灰と荒地になったと配信記事を書きました。「ニューヨークタイムズ」は、その配信記事を大幅に縮約したものを掲載したくらいだったのです。


雑誌「ライフ」の写真家,アルフレッド・アイゼンシュテットとJ,R・アイアマンも広島に行き,写真を撮りましたが,「ライフ」に発表された画像からは,好ましくない写真は削除されていました。アイゼンシュテットは,黒焦げの廃墟にいる日本人の母親と幼児の姿を写しましたが、「ライフ」のアメリカ国内版に掲載されることはなかったのです。


そうした中でも、イギリスの「デイリー・エクスプレス」の従軍記者ウィルフレッド・バーチェットは,壊滅した広島を取材し、「原子力の疫病」という見出しで、生存者が放射線の影響で死んでいく様子を描写しました。


街全体が倒壊しているだけでなく,放射線障害についての日本の報告は,けっきょくのところ嘘でも宣伝でもなかった(p49)

「ヒロシマ」の影響

「ニューヨーカー」に「ヒロシマ」が掲載されたことで、原爆についての議論が活発になりました。


海軍元帥ウィリアム・F・ハルゼー・ジュニアは原爆は無用の実験であり、「アメリカはこの玩具(原爆)を使ってみたかった。だからたくさんの日本人(ジャップ)が死んだ。でもジャップはずっと前に、ロシアを通じて和平の打診をしていた」と記者会見で語っています。


また、原爆の威力を考えれば、都市が消滅する可能性を想定し、国家機能を分散する必要性も指摘されています。
 

多くのアメリカ人は、「ヒロシマ」を読んで,広島の代わりにニューヨークに原爆が落ちて、自分たちが地上の地獄を味わっているところを想像することになったというわけです。


アインシュタインは・・今やロケットが原子爆弾を運ぶことができ、事実上、地球上のどの人口密集地も、破壊的な核兵器による攻撃に対して無防備であると語った(p188)

なぜ「ヒロシマ」の掲載が許可されたのか

最後の疑問は、なぜ、「ヒロシマ」の掲載が許可されたのかということでしょう。


1946年にはソ連の「鉄のカーテン」が指摘され、共産主義活動が活発化し、日本をアメリカの同盟国として育てる方針があったようです。実際、ハーシーはアメリカ人情報将校から、日本国内での共産主義の脅威が増大しており,日本(ジャップ)を教化して同盟国とし、ソ連に対抗するという戦略を聞いたという。


日本が増長すれば、日本を叩き、ソ連が増長すれば、ソ連を叩き、中国が増長すれば、中国を叩く、アメリカの指導層のしたたかさを感じました。


「原子爆弾は不幸を生むから、みんなで廃絶しましょう」などと甘いことは微塵も考えないのです。ブルームさん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言


・戦争中,約11万7千人の日系人がアメリカで収容所に入れられた(p27)


・ハリウッドは長いあいだ,東洋の人間以下の黄色い危険物について警告する宣伝や長編映画を大量に作ってきた(p27)


・1942年のパターン死の進行においてアメリカの捕虜たちに対して行われた残虐行為についてのニュース,中国の民間人に対して加えられた凶行,そして太平洋の環礁での残忍な闘いがアメリカ人たちを怯えさせ,すべての日本人は野蛮で恐ろしいという印象を強めた(p27)


・ハーシーには日本軍は,なるべく多くの中国人を無差別に殺す以外,なんの戦略もないように見えた。彼が中国の主要都市,重慶を訪れていたとき,この街が日本軍の空爆を受け,「大規模な火災が起こり,爆撃があるたびに何千人もが焼け死んだ」(p80)


▼引用は、この本からです
「ヒロシマを暴いた男 米国人ジャーナリスト、国家権力への挑戦」レスリー・M・M・ブルーム
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レスリー・M・M・ブルーム (著)、集英社


【私の評価】★★★☆☆(77点)


目次


第1章 この写真はすべてを物語ってはいない
第2章 特ダネで世界を出し抜く
第3章 マッカーサーの閉鎖的な王国
第4章 六人の生存者
第5章 広島でのいくつかの出来事
第6章 爆発
第7章 余波


著者経歴


レスリー・M・M・ブルーム(Lesley M.M. Blume)・・・ロサンジェルスを中心に活動しているジャーナリスト、ノンフィクション作家、小説家。『ヴァニティ・フェア』『ニューヨーク・タイムズ』『ウォール・ストリート・ジャーナル』『パリ・レヴュー』など各紙誌に寄稿している。アーネスト・ヘミングウェイについて執筆したノンフィクション『Everybody Behaves Badly』は、『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーランキング入りを果たした。


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