【書評】「人生後半戦、これでいいの」萩本 欽一
2025/09/08公開 更新

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【私の評価】★★★★☆(85点)
要約と感想レビュー
仕事以外でいい思いをしない
24時間テレビで萩本 欽一さんを見て、「年を取ったな」と思ったので読んでみた一冊です。
欽ちゃんは、2014年、72歳の時に明治座の舞台を引退しました。お芝居をやめたのは、100点の笑いに必要な体力と筋力がなくなったからだという。欽ちゃんは、とにかく今の自分の力を100%出し切ってきました。100%の力でやってきたから、やり残したことはないというのです。
若い時には、周りの若手コメディアンが、同じ舞台の女性と付き合って、やめていくのを見て、女性には近づかないようにしていました。仕事以外でいい思いをしない、得をしない、欲を出さないと決めて、仕事で自由時間があっても、観光はしないと決めていました。
ひとつでも我欲を出すと、視聴率が1%、引かれるような気がするから仕事以外の楽しみを、自分のそばに置かないようにしていたというのです。
自分にとって、仕事は一番楽なこと。ハワイ旅行は仕事の3倍疲れる、ゴルフは仕事よりずっと疲れると、自分を騙して、仕事に集中してきたのです。
その背景には、欽ちゃんは人生でおもしろいのは、目標を達成するまでの途中にあると考えているのです。だから、自分に「頑張ったね」って言える人生を歩みたいし、そういう人生がおもしろいと思っていたというのです。
もし、仕事をしていて苦しいと感じるなら、それは未熟だからだと思う(p93)
新しい笑いに挑戦する勇気
欽ちゃんは、皆がやっていることはやらないと決めていたという。人と同じことをしていたら、新しいアイディアは生まれないからです。
欽ちゃんはいつも、もっとおもしろくするにはどうしたらいいか考えていました。だからテレビの本番前には、どんなアドリブをしようか考えているので、誰にも話しかけられたくないほど、集中していたという。
なぜアドリブか大切かといえば、アドリブが成功する確率は50%。二回に一回失敗しても、勇気を出してアドリブをやり続けてきたから、この50%の成功の積み重ねが、自分の笑いを作ってきたという自負があったのです。
だから、テレビ局の偉い人に、「本番前に思いついたアドリブをやるのはどうかと思うよ」と言われた時には、「私は絶対にやめない。これは私の生き方だし、あなたに私の大切な勇気を奪われるのは不愉快だから、この番組はもうやめます」と言ってしまったという。
成功する人はみんな、一か八かの博打に出た人ばっかりなんじゃないの?って思ったの・・勇気と運。それが、あれば、言った言葉が現実になる(p146)
自分の夢の叶え方
欽ちゃんの夢は、自分で自分の番組を作ることでした。そこで、番組作りの現場に芸人として参加し、アイデアを出しているうちに、「台本書いてよ」と言われるようになり、自分の番組を作れるようになったという。
欽ちゃんの20代へのアドバイスは、自分のように頭を使わず、とにかく行動すること。言われたことをなんでも素直にやって、そのうち誰かが「お前、何がしたいの?」と訊いてもらえるようになれば、その人が夢を実現してくれるというのです。
頭のいい人は、これは無理、これは誰かがやっていると考えすぎて、なかなか新しい行動ができないのです。さらに、欽ちゃんが30~50代のときは「次はこうする」と夢を公表して、後に引けないように縛りを作っていたという。
そして、嫌なことや苦しいことがあっても、来るたびに、「また一個運がたまった」とか「こんなひどいことが来たってことは、何かいいことがある前兆かな」と絶望的な状況にも、悲観的になるのではなく、未来の楽しみに変換していたという。
このように、夢を追う勇気がなくならないように、自分を騙しながら、自分を励まし続けて、行動してきたというのです。
掲げる夢は大きいほど実現する・・ぼくはその夢を目指せと言ってるんじゃないの・・一度大きな夢を掲げた、ということで、そのあとの努力の質が少し違ってくる(p124)
視聴率をとる方法
テレビで視聴率をとる方法は、「遠くする(遠回りする)」ことだという。つまり、いつも通りのやり方ではなく、面倒くさい方法を選ぶというとこです。
例えば、番組で小学生を出演さるのなら、児童劇団に連絡するのがいつもの方法でしたが、テレビ局員が小学校の校門に立って、警察に通報されたりしながら、よさそうな小学生を探したという。
このように「遠くする(遠回りする)」ことで、物語が生まれて、それだけで成功するのは決まったも同然ということなのです。
だから、欽ちゃんは辛いことは避けるのではなく、辛いことはいつか有名人になったときのちょうどいいエピソードになるんじゃないか、と考えていたという。
同じように、自分のダメなところがあっても、見方を変えれば短所が長所になることがあるのだから、ダメなところわざと出して、長所として売り込むくらいがいいとさえ言うのです。
今、欽ちゃんは一番幸せなのは「明日、あれをやらなきゃいけない」と思いながら死ぬことだろうと言っています。きっと、そうした人生を送るのでしょうね。萩本さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・人生を楽しくしたいなら、みんなもっと粋な言葉を勉強すればいい・・辛かったら楽しい言葉を、悲しかったら嬉しい言葉を、悔しかったら幸せな言葉を言ってみる(p165)
・一人一人の専属の神さまというのは、ぼくは祖先だと思います・・・昔の祖先が、今、この世で生きている一人一人を見守ったり応援したりしてくれている(p178)
・嫌なことにどう対処するか。そこに、その人の粋さは出ますね・・ぼくはいつも、「視聴率が20%を割ったらいつでもやめる」って、必ず言っていたんですね・・そうすればお互い、気持ちよくやめられる(p169)
・年をとると、明日、会う人がいるっていうのが、一番嬉しいんだよ。それが、おめえだよ(p58)
▼引用は、この本からです
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萩本 欽一 (著)、ポプラ社
【私の評価】★★★★☆(85点)
目次
第1章 最後の舞台―笑いの偽装はしない
第2章 生きること死ぬこと、年をとること―七十歳からの生き方
第3章 「運」は自分の支えに過ぎなかった―ぼくとテレビ
第4章 人生ってこんなこと―今を楽しくするちょっとした秘訣
第5章 最後まで挑戦したい―粋に生きるための心がまえ
著者経歴
萩本欽一(はぎもと きんいち)・・・1941年東京入谷生まれ。貧しい生活から抜け出すためにコメディアンを志し、高校を出ると浅草の東洋劇場へ入団。フランス座へ出向し幕間のコントで芸を磨く。1966年、坂上二郎と「コント55号」を結成、1968年から始まったテレビ番組『お昼のゴールデンショー』で人気を得ると、『コント55号のなんでそうなるの?』などで人気絶頂に。1971年に始まった『スター誕生』では新しい司会者像をつくり上げた。1980年代には『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『欽ドン!良い子悪い子普通の子』などで、視聴率100%男の異名をとった。1998年の長野冬季オリンピックでは閉会式の司会も務めた。2005年にはクラブ野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成し監督に就任、人気球団に育てた
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