【書評】「ふたりのトトロ ―宮崎駿と『となりのトトロ』の時代」木原 浩勝
2025/07/18公開 更新

Tweet
【私の評価】★★★★☆(84点)
要約と感想レビュー
ラピュタの雲はウェールズの雲
スタジオジブリで「天空の城ラピュタ」と「となりのトトロ」の制作に関わった木原さんが、当時の宮崎駿を振り返ります。
「天空の城ラピュタ」の制作現場では、宮崎監督が冒頭のパズーが暮らす鉱山町の渓谷の絵コンテを描いているとき、自分が撮影したイギリス・ウェールズの空と雲の写真を机のあちこちに貼って参考にしていたという。「天空の城ラピュタ」の雲は、 ウェールズの雲なのですね。
「天空の城ラピュタ」の制作が終わると制作予算がないため、劇場用アニメ制作会社のスタジオジブリでは収入源がなく、冬の時代のように感じていたと言う。つまり、制作予算がないので、事務所や車やコピー機のリース料金やスタッフの給料などスタジオの運営・維持費が出ていくだけだったのです。
そんなスタジオジブリの赤字を減らすために、著者の木原さんは廃棄処分と決まっていた「ラピュタ」のセル画を通販することを提案。通販は順調に進み、スタジオジブリの維持費の一部を負担することができたたという。
「ラピュタ」絵コンテをひたすら描き続けている宮崎さん・・「ラピュタ」暴騰のスラッグ渓谷を描くにあたり宮崎さん自身が撮影したイギリス・ウェールズの写真が机のあちこちに貼ってあったのだが、これが全て空ばかり。いや、正確には雲を捉えた写真ばかり。凄い!新しい映画は「雲を描く」作品なんだ!!(p7)
「トトロ」が生まれたところ
ジブリの親会社の徳間書店が決定したのは、なんと宮崎駿監督の「となりのトトロ」と高畑勲監督の「火垂るの墓」をスタジオジブリが同時制作するというものでした。
宮崎監督の中で「トトロ」が生まれたのは、1975年に、テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」の終了後に、絵本にしようと3枚だけ描いた「トトロ」で、メイという女の子一人しか登場しない物語だったという。
そして1979年「ルパン三世・カリオストロの城」の終了後に宮崎監督は、「トトロ」の映画制作を会社に提案します。そのイメージ・キャラクターボードには、トトロに当たるキャラクターとして、おおとうさん/ミミンズク(1302歳)。中トトロは、とうさん/ズク(679歳)。小トトロは、ミン(109歳)と 記されていました。
提案は採用されないのですが、採用されていれば「となりのミミンズク」となっていたかもしれないのです。
いつ頃、どんな形で「トトロ」は生まれたのか?・・1975年に、テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」の終了後に描いた(3枚だった)と宮崎さんから聞いてい(p45)
スタッフは作品ごとの契約
「となりのトトロ」の制作で、著者が最初に取り組んだのは、動画スタッフの手配です。動画スタッフが稼働し始めるのは半年後ですが、宮崎監督が満足するであろう質の高い動画スタッフを集めるために個人や動画スタジオに声をかけて歩いたのです。
スタジオジブリで働くスタッフは作品ごとの契約で、いわば傭兵部隊みたいなもの。特に個人事業として動画を描いている人は動画の質が高く、続けてもらえば質もスピードも上がってくるという。肝心なラストスパートの戦力として使えるのです。
「天空の城ラピュタ」のときは、あと1日2日遅れていたら公開には間に合わなかったらしい。宮崎監督の求める質を確保しながら、1年で1作品、期限どおりに作るというのは、とても難しいことなのです。
ジブリの仕事は1年の短期決戦である。一緒になって遊ぶこともなく、全員が互いに親しくなる前に全てが終わってしまう(p175)
宮崎監督は元旦のみ休み
宮崎監督は元旦のみ休みで、「トトロ」完成まであと少しという頃には、宮崎さんの髪は「白髪」と化していったという。宮崎監督の右腕は大量のエレキバンが貼られ、肩から背中にかけても「肩コリ」で鉄板のように硬くなっていたというのです。
宮崎監督が、楽しんで「トトロ」を作ったことと、よく観察して、小さく細かなところに気づいたり再確認しながら動画を描くのが宮崎流なのだとわかりました。
ジブリの作品は、スタッフに支払う賃金と労力のバランスを度外視した、芸術作品なのです。木原さん、良い本をありがとうございました。
無料メルマガ「1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』」(独自配信) 3万人が読んでいる定番書評メルマガ(独自配信)です。「空メール購読」ボタンから空メールを送信してください。「空メール」がうまくいかない人は、「こちら」から登録してください。 |
この本で私が共感した名言
・良いか悪いか?使うか使わないか?まずは描いてみる。これが僕の知る宮崎駿という人だ(p51)
・宮崎駿という人は、作品完成のための牽引力は恐ろしいほど持っているのに、多人数の前に出ることを極端に嫌う・・・むやみに人前で褒められたり賞賛されたりするのが苦手なのだ(p80)
・アニメ雑誌「アニメージュ」・・「風の谷のナウシカ」の連載・・「トトロ」が始まるや否や休載する・・「仕事が違いますからね。一つに集中するべきなんですよ」(宮崎駿)(p65)
▼引用は、この本からです
Amazon.co.jpで詳細を見る
木原 浩勝(著)、講談社
【私の評価】★★★★☆(84点)
目次
第1章 トトロ前夜
第2章 「木原君は逃げるんですか?」製作開始決定
第3章 「どちらのサツキがいいですか?」宮崎さんキャラクターを作り始める
第4章 「この作品は楽しく作ってください」宮崎さん命を下す
第5章 「このお面をかぶって授賞式に出てくれませんか」記者会見とアニメグランプリ騒動
第6章 「そんなことをやって完成しますか?」宮崎さん顔を曇らせる
第7章 「すみません。長くなります」宮崎さん頭を下げる
第8章 「木原君...どう思いますか?」宮崎さん少し悩む
第9章 「トトロは楽しくなります」茶カーボン奮戦記
第10章 「これは本当に大変な仕事でした」宮崎さん動画の作業に感謝する
第11章 「強化キャンプに行きましょう!」宮崎さん決断す
第12章 「こんなに追い詰めたんですから...」宮崎さん笑う
第13章 『となりのトトロ』ゆく年くる年
第14章 「トトロが自分で思いついたんです」宮崎さん上機嫌で笑う
第15章 「トトロはやはりこれでいいんです」宮崎さん納得する
ちょっと長くて勝手なエピローグ・追記
著者経歴
木原浩勝(きはら ひろかつ)・・・1960年、兵庫県生まれ。大阪芸術大学卒業。1983年、アニメ制作会社トップクラフト、パンメディアを経て設立したてのスタジオジブリに入社。「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」などの制作に関わる。1990年、スタジオジブリ退社後、『新・耳・袋』で作家デビュー。以降、「新耳袋」「九十九怪談」「現世怪談」などのシリーズ作品、『禁忌楼』などの怪談作品を発表している。また、怪談トークライブ「新耳袋」やラジオ番組「怪談ラヂオ~怖い水曜日」なども好評を博している。その他、書籍・ムックの企画・構成・執筆も行い、『空想科学読本』『このマンガがすごい!』『ゴジラ 東宝特撮未発表資料アーカイヴ』などの作品がある。「モノ作り」に関する講演活動を日本のみならず海外でも広く行っている。
この記事が参考になったと思った方は、クリックをお願いいたします。
↓ ↓ ↓
この記事が気に入ったらいいね!
コメントする