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【書評】「もう一つの「バルス」-宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代」木原 浩勝

2025/07/22公開 更新
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「もう一つの「バルス」-宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代」木原 浩勝


【私の評価】★★★★☆(83点)


要約と感想レビュー


宮崎駿に学ぶために業界に入る

著者は「風の谷のナウシカ」の宮崎駿監督に学びたくて、「ナウシカ」を制作したトップクラフトに入社します。しかし、劇場版アニメは作品毎にアニメーターと契約を結びます。「風の谷のナウシカ」完成後なので、宮崎監督は会社を去っていました。


著者の仕事は、撮影助手です。当時は塩化ビニールのシート(セル)に1枚1枚絵の具を塗ったものを1枚1枚撮影していました。2時間のアニメで7万枚ものセルが作られ、撮影されるのです。仕事が錯綜する中で、初心者の撮影助手はめちゃくちゃ叱られます。著者が入社するまで数多くの撮影助手が、次々と入れ替わるようにして辞めていたという。


著者も入社初日から3日連続の徹夜作業で、次の日は半日休んで、そこからは会社の仮眠室に寝泊まり生活となったという。それでも宮崎駿監督に学びたい著者は、次々と仕事を覚えていく毎日が楽しいと感じていたというのです。


トップクラフトは、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」を制作した会社である(p14)

スタジオジブリに参画する

そんなトップクラフトも、会社の経営は自転車操業で、ついに解散することになります。著者は同じアニメ会社パンメディアに移籍することになります。パンメディアでも制作進行として、セル画を車で運んだり、アフレコ用のセル画を作ったり、忙しく働いていました。


そんな著者にチャンスが訪れます。宮崎駿監督が劇場用アニメ専門のスタジオジブリを立ち上げるというので、宮崎駿監督に学びたいと公言していた著者に声がかかったのです。現在の激務の仕事を辞めて、スタジオジブリに移籍して大丈夫だろうか。著者の不安は、杞憂に終わりました。


制作担当の増子相二郎さんに相談すると、高畑勲と宮崎駿の名前を出すと快諾してくれたのです。


俺(増子相二郎)は日本アニメーションで「赤毛のアン」の制作デスクだったんだ。パクさん(高畑)と宮さんの仕事っぷりはよく知っている。この2人の仕事に揉まれて残った奴は、必ず一人前になる(p37)

宮崎駿監督の髪が白くなる

宮崎駿監督の初原作・脚本作品は1986年の「天空の城ラピュタ」です。今では信じられませんが、当時は宮崎駿監督は無名で、宮崎駿監督にとってもスタジオジブリにとっても失敗できない作品でした。


宮崎監督は、朝10時に自分の椅子に座ると、深夜1時か2時近くまで、ずっと絵コンテを描いていたという。休憩はお昼のお弁当を食べた後に、準備室で折畳みパイプベッドで30分ほど仮眠をとるのと、夕ご晩を食べに外に出るくらい。「天空の城ラピュタ」の絵コンテ、総1666カットを、宮崎さん一人で描き上げるたのです。


宮崎駿監督は、当時45歳でしたが、「ラピュタ」の制作が後半になると、頭頂部からどんどん白くなっていき、完成した時には黒々とした髪がすっかり白髪になっていたという。他のアニメ会社からは、「天空の城ラピュタ」は絶対公開には間に合わないと噂され続けていたのですから、あの品質で1年で完成したのは奇跡に近かったのです。


若い動画や原画の人ほど遅くまで残って、優秀な先輩たちが帰った後に、机の上の描きかけの原画をこっそり見ては、「上手い・・」と唸りながら、また自分の仕事に戻って行く(p59)

金田伊功さんと飯田馬之介さん

「天空の城ラピュタ」の制作現場には、当時のトップアニメーターが集まっていました。「ラピュタ」で「原画頭(げんががしら)」とクレジットされた金田伊功(かなだ よしのり)さんの動画には宮崎駿監督は、ほぼ手を入れなかったという。


また、デザインと演出助手の飯田馬之介こと飯田 勉(いいだ つとむ)さんは、飛行石や飛行艇のフィギュアを作っていて、造形工房のようだったという。


スタジオジブリには、アニメが好きで素晴らしいアニメを作りたいという思いの人が集まっていたのだと理解しました。木原さん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言


・「天空の城ラピュタ」には飛行機が登場しない・・・大飛行船時代ということなのだ(p130)


・「バルス」」は、トルコ語で「平和」を意味する言葉だ・・準備稿では、シータ「バルス(とじよ)」と書かれてある・・呪文は、ラピュタ語として書かれている(p158)


・小型飛行艇「ファラップター」・・空想上の実用と言えば・・SF小説「デューン/砂の惑星」に登場する「オーニソプター」と呼ばれる鳥を模した羽ばたき型飛行機ではないか(p75)


▼引用は、この本からです
「もう一つの「バルス」-宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代」木原 浩勝
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木原 浩勝(著)、講談社


【私の評価】★★★★☆(83点)


目次


第1章 スタジオジブリ入社への道
第2章 「この作品は失敗できない」
第3章 地蔵の人
第4章 フラップターの謎
第5章 愛された悪役「ムスカ」
第6章 馬車と喧嘩と原画頭
第7章 不思議のポムじいさん
第8章 予告編とテストフィルム
第9章 「馬之介」の思い出
第10章 神の降臨
第11章 「あと1時間くれ」
第12章 もう一つの「バルス」
第13章 『ラピュタ』最後の作画カット
第14章 落涙


著者経歴


木原浩勝(きはら ひろかつ)・・・1960年、兵庫県生まれ。大阪芸術大学卒業。1983年、アニメ制作会社トップクラフト、パンメディアを経て設立したてのスタジオジブリに入社。「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」などの制作に関わる。1990年、スタジオジブリ退社後、『新・耳・袋』で作家デビュー。


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