「今日われ生きてあり :知覧特別攻撃隊員たちの軌跡」神坂 次郎
2019/08/12公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(82点)
要約と感想レビュー
祖国のために死んでいった特攻隊員がいた
鹿児島県にある特攻隊基地知覧を、一度は訪れないといけないと思って手にした一冊です。著者は15歳で飛行兵を志願し、東京陸軍航空学校に学び、知覧特攻基地で仲間が特攻に出撃していくのを見ることとなったという。著者は知覧で見送った仲間のことを書き残したいと思いつつ、30年間書くことができませんでした。著者は戦後37年にして知覧を訪れ、本書を書くことができたのです。
戦後、夏がくるたびに戦争が論じられます。著者が自分の目でみた特攻隊員たちは、国家や天皇よりも、肉親や愛する人びとや、うつくしい故郷、そんな"祖国"を自分が死ぬことによって救いたいという思いで出撃していったのです。そんな純粋無垢な、使命感を抱いた自己犠牲の死が一部の人たちから、なぜ犬死と罵られなければならないのか。特攻隊員を追悼することが、どうして"軍国主義"につながるのか。そんな新聞記事やテレビ報道をみるたびに、著者は怒りに体が震えるというのです。
元隊員たちが、ながらく知覧に姿を見せなかったのは、いちどそこで死を覚悟したものにとって、多くの先輩や同志を失った痛恨きわまりないこの地には、訪れがたいなにかがあったのであろう(p11)
特攻は肩身の狭い時代が続いた
戦後は、特攻にかかわった者は処罰されるというデマが広まり、特攻に関わる資料や遺書は多くが焼却されてしまったという。また戦後、特攻は笑いものであったとの表現があり、特攻に関わった人たちは肩身の狭い時代が続いたというのです。今でも英霊を祭る靖国神社を公式参拝できないのは、そうした雰囲気を今も残しているということなのでしょうか。
知覧でも特攻隊について展示していると、知覧は特攻を美化して、再軍備をはかるんじゃないかと言われる人がいるという。知覧で特攻隊について展示しているのは、歴史の一コマ、この真実を後世に残さなければいけないと思って収集したと知覧特攻平和会館の案内人は語るのです。この方々の死の無意味でなかった証をたてると共に今日の平和がこういう尊い犠牲の上にあり、平和の有難さ平和の尊さを訴え、二度とふたたびこれからの若い人をこの悲惨な戦術の犠牲にさせないためにも、ぜったいに戦争はやってはいけないことを、訴えているというのです。
私の結婚の頃(昭和)27年当時は、特攻は笑いものでした。私は、生命をかけて守った日本と国民に裏切られ、非難される彼らが哀れでした。敗戦であっても、生命をかけた行為が何故罪悪といわれねばならないのでしょうか(p198)
特攻は肩身の狭い時代が続いた
特攻と作戦としてはあまりに稚拙ですが、それを実行した人々は、祖国と近しい人を守るために自分の命を捨てたのです。当時特攻係であった女性は、日本を救うため、祖国のために、いま本気で戦っているのは体当たり精神を持ったひたむきな若者や一途な少年たちだけだと、思うていたという。ですから、拝むような気持ちで特攻を見送ったという。歌の上手な19歳の少年航空兵出の若者が、出撃の前の日の夕がた「お母さん、お母さん」と薄くらい竹林のなかで、日本刀を振りまわしていた姿が心のなかにこびりついているという。
類書を読んだ時も泣きましたが、今回も涙をおさえることはできませんでした。神坂さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・岩井さんは、「お父さん、お母さんにもういちど会ひたいが、お母さんはなげいて、一週間ぐらい眠らないと可哀そうだから、もう会わない方がいいだろうな・・・おれは、一目見たら後は死ぬだけだからよいが、後に残って思う人が可哀そうだからな。けど、死ぬまでに妹の八重子を一目でいいから、ぱっと見て死にたい(p55)
・渋谷健一の手紙・・父より倫子ならびに生まれてくる愛し子へ
新に今は皇国危急なり、国の運命は只一つ航空の勝敗に決す。翼破るれば本土危し。三千年の歴史と共に大和民族は永久に地上より消え去るであらう。先輩の偉業を継いで、将(はた)また愛する子孫のために断じて守らざるべからず・・父は選ばれて特攻隊長となり、隊員11名、年齢僅か20歳に足らぬ若桜と共に決戦の先駆となる・・(p124)
・沖山富士雄(伍長、第61振武隊)の遺書
父上様、20年の間色々と有りが度う御ざいました。子として何も出来ず申訳ありません。之れのみ心のこりで御ざいます。然し今度の任務こそは必ずや親孝行の一端と存じます。決して驚かないで下さい。特攻隊員として出撃するも名誉実に大であります。日本国民として二十年実に生き甲斐がありました。体当たりして遺骨これなくとも遺髪をのこしてをります故、部隊の方から送付して下さる事と思います。親兄弟よりお先に逝きます事を御許し下さい。では家の事はくれぐれもおたのみ致します。お祖母さまに会えないのが残念。では最後に村の皆さまにくれぐれも頼みます。私の墓場は家の者全部の所にして下さい。御健勝と御奮励を祈ります。此の便りが着くころは世にはいないものと想って下さい(p149)
・B29の白昼の東京上空侵入の屈辱に歯ぎしりした第十航空師団は、みずからの面目をたてるために11月7日、隷下の各戦隊に特別攻撃を命じた。特別とは、「一死をもってこの任(B29撃墜)を達成せよ」という、百中百死の攻撃命令であった・・この特攻隊は、防衛総司令官東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)大将により「震天制空隊」と命名された。だが、特攻は戦術ではない。指揮官の無能、堕落を示す"統率の外道"である(p166)
▼引用は、この本からです。
新潮社 (2019-07-26)
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【私の評価】★★★★☆(82点)
目次
特攻基地、知覧ふたたび-序にかえて
第1話 心充たれてわが恋かなし
第2話 取違にて
第3話 海の自鳴琴
第4話 第百三振武隊出撃せよ
第5話 サルミまで...
第6話 あのひとたち
第7話 祐夫の桜 輝夫の桜
第8話 海紅豆咲くころ
第9話 母上さま日記を書きます
第10話 雲ながれゆく
第11話 父に逢いたくば蒼天をみよ
第12話 約束
第13話 二十・五・十一 九州・雨 沖縄・晴のち曇
第14話 背中の静ちゃん
第15話 素裸の攻撃隊
第16話 惜別の唄
第17話 ごんちゃん
第18話 "特攻"案内人
第19話 魂火飛ぶ夜に
特攻隊-あとがきにかえて
著者経歴
神坂次郎(こうさか じろう)・・・1927(昭和2)年、和歌山市生れ。1982年『黒潮の岸辺』で日本文芸大賞、1987年『縛られた巨人―南方熊楠の生涯―』で大衆文学研究賞を受賞。1992(平成4)年には、皇太子殿下に自著『熊野御幸』を二時間半にわたって御進講した。2002年南方熊楠賞、2003年長谷川伸賞を受賞。他の著書に『元禄御畳奉行の日記』『今日われ生きてあり』『海の稲妻』『海の伽倻琴』など。
特攻隊関係書籍
「日本への遺書―生き残り特攻隊員が綴る慟哭の書」田形 竹尾
「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」鴻上 尚史
「今日われ生きてあり :知覧特別攻撃隊員たちの軌跡」神坂 次郎
「特攻基地知覧」高木 俊朗
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