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「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」鴻上 尚史

2018/03/19公開 更新
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不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)

【私の評価】★★★★☆(85点)


■演劇の演出家として活躍する
 鴻上さんによる太平洋戦争での
 特攻隊についての分析です。


 鴻上さんは演出家ですから、
 役者に「命令する側」にいます。


 では特攻隊員に「命令する側」は
 どうして特攻を命令したのか、
 ということを考察しています。


 最初の疑問は、
 飛行機で体当たりすると
 投下した爆弾の半分の速度しか出ないため、
 敵の装甲甲板を貫くことが
 できないことです。


 コンクリートに
 卵を投げているようなもので、
 なぜ爆弾を投下せずに、
 効果が期待できない
 低速となる体当たり(特攻)を
 命令したのか、ということです。


・艦船を爆弾で沈めるためには、
 甲板上ではなく、艦船内部で
 爆発させるのが効果的だ・・
 飛行機の速度は爆弾の落下速度の
 およそ半分になってしまう・・
 海軍の実験では、800キロの徹甲爆弾を
 高度3000メートルで投下することが、
 アメリカの艦船の装甲甲板を貫く
 最低条件とされた・・
 体当たりに効果がないという理由は
 まだある(p34)


■そして二つ目の疑問は、
 「命令した側」の人が、
 特攻は志願だったと
 主張することです。


 もちろん、志願した人はいるでしょう。
 志願したくなかったけれど、
 雰囲気で志願せざるをえなかった人も
 いるでしょう。


 これは野球でマー君が
 「投げたい」と言ったから
 監督がそれを許したという
 話と似ています。


 選手が投げたいとか、
 投げたくないとか意見を言う権利は
 当然あるのですが、
 最終的に権限と責任は監督にある。


 監督が決断して命令するのであり、
 全責任は監督にあるのです。


・大西瀧治郎中将のように、
 戦後自刃しなかった司令官達は、
 ほとんどが「すべての特攻は志願だった」
 と証言します。私の意思と責任とは
 なんの関係もないのだと(p216)


■鴻上さんの結論は、
 効果のない特攻を継続した理由は、
 新聞などで戦意を高揚するためだった、
 というものです。


 新聞では、特攻隊が連日報道され、
 国民を鼓舞していたのです。


 福島原発事故で、効果がなくとも
 所長が決死隊を作ってやっています
 というと国民は安心する。


 熱中症で死亡する選手がいるのに
 猛暑の甲子園で戦う球児を見ると、
 国民は感動する。


 だから、「命令する側」は
 より良い方法、手法があるのに、
 意味のないことを続けてしまう。


 そうした日本人の思考は、戦前から
 何も変わっていないのではないか、
 と鴻上さんは問いかけます。


 鴻上(こうかみ)さん
 良い本をありがとうございました。


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・僕は毎年、夏になると「いったいいつまで、
 真夏の炎天下で甲子園の高校野球は続くんだろう」
 と思います。地方予選の時から、熱中症で何人も倒れ、
 脱水症状で救急搬送されても、真夏の試合は続きます。
 10代の後半の若者に、真夏の炎天下、
 組織として強制的に運動を命令しているのは、
 世界中で見ても、日本の高校野球だけだと思います・・・
 重篤な熱中症によって、何人が死ねば
 この真夏の大会が変わるのだろうかと
 僕は思います(p283)


・関大尉は、出撃前、新聞記者に・・
 「報道班員、日本もお終いだよ。
 僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。
 ぼくなら体当たりせずとも敵空母の
 飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を
 命中させる自信がある」(p58)


・前夜、集会室で岩本隊長はこう言っていた。
 「飛行機乗りは、初めっから
 死ぬことは覚悟している。
 同じ死ぬなら、できるだけ
 有意義に死にたいだけさ。
 敵の船が一隻も沈むかどうかも分からんのに、
 ただ体当たりをやれ、『と』号機
 (特攻用飛行機)を作ったから乗って行け、
 というのは、頭が足りないよ」(p77)


・特攻は有効だったのか・・・
 どんな資料でもはっきりしているのは、
 正規空母、戦艦、巡洋艦の撃沈がないこと・・
 護衛空母は3隻撃沈・・
 駆逐艦は13隻、沈めています(p240)


・僕は「命令した側」が、
 「命中率」で特攻を語ることが
 理解できません・・
 特攻はただの一回だけです・・
 何回も出撃した場合の、
 急降下爆撃の命中率を比べることは
 不可能です(p245)


・僕が「命令した側」に対して理解できないのは、
 フィリピン戦から沖縄戦にかけて、
 「特攻の効果」が著しく逓減したことを知りながら、
 特攻を続けさせたことです(p246)


・大西長官以下の司令官は、
 どうして「特攻」を続けたのでしょうか・・
 1944年(昭和19年)10月29日の『敷島隊』以降、
 新聞の一面に特攻隊の記事が躍り出ます。
 朝日新聞を例に取れば、これ以降・・
 はっきりと特攻隊の記事をセンセーショナルに
 打ち出したのは、厳密に言えば、
 1944年では、31回、1945年では、55回・・
 国民は感動し、震え、泣き、深く頭を垂れました。
 そして、結果として、戦争継続への意思を
 強くしたのです(p253)


・戦後、東久邇宮(ひがしくにのみや)首相は、
 「この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し
 懺悔しなければならぬと思う・・というような
 発言をしました。
 「命令した側」と「命令を受ける側」を
 ごちゃまぜにした、
 あきれるほどの暴論です(p228)


・佐々木は急に腹が立ってきた。
 こんな真っ昼間に飛行機を並べて出そうとしたら、
 やられるのは当然だ。危険が時間帯に、
 ノンキに出撃の儀式の乾杯までするとは。
 参謀どもはバカではないのか(p106)


・冨永司令は、マニラに立てこもり、
 最後は竹槍で突撃することを主張していた・・
 特攻に不向きな飛行機を部下の
 反対を押し切って、次々と出撃させた・・
 冨永司令が・・台湾に逃亡した・・
 戦後、生き延びた冨永司令は、
 電報で命令を受けたのだと強弁した(p146)


・藤吉は、日露戦争の時、旅順の203高地を
 攻撃する決死隊の白襷隊(しろたすきたい)
 の一員だった。夜間、白い襷を肩からかけて、
 高地の斜面を登り、敵陣地を強襲・・
 だが、白い襷は、夜の闇の中で
 かえって目標になった。
 ロシア軍の機関銃は白い襷を目標に
 銃弾を浴びせた(p53)


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■目次

第1章 帰ってきた特攻兵
第2章 戦争のリアル
第3章 2015年のインタビュー
第4章 特攻の実像


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