「もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界」城山 三郎
2014/10/17公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(72点)
要約と感想レビュー
■東芝に興味があって読んだ一冊です。
戦前は第一生命社長、戦後は東芝社長という
石坂泰三の人生をたどりながら、
人間 石坂泰三がわかります。
石坂泰三さんの
エピソード集といった趣でした。
・「人間にも燃料が要る。たくさん食え、うまいものを食え、おいしく食え」が、石坂の持論であった(p19)
■印象的なのは強烈な自尊意識でしょう。
タイトルのように大蔵大臣に
「もう、きみには頼まない」
と切れる自信。
マッカーサーに呼ばれても行かない。
「用があるなら、こっちへ来ればいい」
と、バッサリ。
こうした人だからこそ、
大きいこともできたのでしょう。
・帰国した石坂は、「なぜアラビア石油に肩入れするのか」との記者たちの質問に、反問する形で答えた。「どうして日本は第二次大戦に突入したんだい。石油が無かったためじゃないのか」(p172)
■昔は偉い人が多かったという
イメージがありますが、
どうなのでしょうか。
豪快な人を許容する余裕があったか、
良い加減さがあったのかもしれません。
豪快な人が
活躍できる場があったのです。
城山さん、
良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・経団連ビル建設に際してのエピソード・・・大手町の一画に在る千八百坪の国有地払下げを申請した・・・石坂は正面から、そして、何度も何度も大蔵省へ足を運び、大蔵大臣水田三喜男に頭を下げた。それでも、大蔵省側はのらりくらりするばかり・・「もう、きみなんかに頼まない!」水田にとっては災難であった。(p13)
・連合国軍司令部の入った日比谷の第一生命ビルは、もともと石坂が「普請奉行」として建てたもので、石坂の社長室をマッカーサーもそのまま使っていた・・このビルをつくらせ社長室の主をしていた男は、どんな男だったのか。その顔を見てみたい・・・「行かねえよ」石坂の返事がこれであった。さらに、付け加えた。「用があるなら、こっちへ来ればいい」(p16)
・商人と屏風は曲がらなければ立てない、というが、サラリーマンだってそれは同じであろう。曲がると申しても、決して悪いことする意味じゃない。己を抑えること、心にもないおつとめをつとめることだ。これも商売の上、勤務の上ではどうしても仕様のないものだが、個人としては出来るだけご免こうむりたいのが人情である(p36)
・社長は東芝在籍五年以上の者から選ぶ、という内規である。第一生命は早くから芝浦製作所株を持ち、戦中にはGEの持株も引き受けて東芝の大株主となっており、その関係から石坂は昭和15年6月より21年まで同社の社外重役を兼ねていた(p115)
・会費(税金)が余ったら、会員(国民)へ戻すべきで、あれこれ余計なことに手を広げるべきではない、・・・自由主義者石坂の頭の中には、治安とゴミ処理ぐらいが政府の仕事、という夜警国家論があり、事ある毎にその正論をくり返した(p217)
文藝春秋
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【私の評価】★★★☆☆(72点)
目次
それがしの1日
善遊善学
当て外れの転職
不思議な役員会
押し入れの中の情報
目標なき生活
凄い奴が来た
特別な日・特別の人
二人の首くくり
温室の中
わがまま適齢期
無所属の時間
後任人事
大成功の宵
大いに不満
命を楽しむ人
著者経歴
城山三郎(しろやま 三郎)・・・(1927-2007)名古屋生れ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎える。一橋大学を卒業後、愛知学芸大に奉職し、景気論等を担当。1957(昭和32)年、『輸出』で文学界新人賞を、翌年『総会屋錦城』で直木賞を受賞し、経済小説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞を受賞した『落日燃ゆ』の他、『男子の本懐』『官僚たちの夏』『秀吉と武吉』『もう、きみには頼まない』『指揮官たちの特攻』等。2002(平成14)年、経済小説の分野を確立した業績で朝日賞を受賞。
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