「小説 中江藤樹(上・下)」童門 冬二
2014/02/20公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(71点)
要約と感想レビュー
陽明学を勉強しようと手にした一冊。中江藤樹は陽明学者であり、近江聖人とさえ言われています。その実はといえば、人と喧嘩はするし、人の言動に一喜一憂するし、私には、勉強好きの普通の人に思えました。当時としては武士も農民も商人も平等に考える思想は画期的なものであり、人気が出た秘密なのでしょう。
中江藤樹はは四十五歳ぐらいまでは、まだまわりからどう見られるか、その評価を気にしていたが、50歳にもなると気にならなくなってきたという。40にして惑わず、50にして天命を知るということなのでしょうか。
当時は、文字を読めるだけでも学があると言われた時代であり、この程度でも評価されたのだと思います。さらには、中国の書を読んで研究しているわけですから、大したものです。そういう意味では、成功哲学が溢れている現代なら、だれもが成功できる、聖人になれる環境は整っているのだと思います。
この本で「桃源郷」という理想の国の話が出てきました。悪人がおらず、他人のことを心配し合う国家。割と今の日本は「桃源郷」に近いのかもしれないと思いました。外国から来た人でも、お金がなければ生活保護で生活できますから、あたかも「桃源郷」の日本が滅びないよう努力したいと思いました。
また、「仙境」という人間が不老不死になるだけでなく、人間が常に悪心や欲心を持たずに、他人のことを心配し合うという世の中がでてきています。金持ち喧嘩せずではないですが、今の日本の普通の人は、「仙境」にあるのではないでしょうか。童門さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・「人間が怒る時は、その怒りの真因は別なところにある」という言葉を改めて噛みしめてみた(上p273)
・不遇な境遇に陥ってはじめて、他人の本心を知ることができる(下p69)
・敵性を帯びた大名は全部遠くへ飛ばした。収入を増やして遠くへ飛ばすというやり方は、「敬遠人事」といわれる。今でもしきりにおこなわれる(上p73)
・城の勤務はこの頃大体四つ時(午前十時)から八つ時(午後二時)ぐらいが標準だったという。・・それに昼飯を食うのだから、一体いつ仕事をするのかと疑いたくなるようなのんびりした状況だった(上p87)
▼引用は下記の書籍からです。
【私の評価】★★★☆☆(71点)
目次
<上>
その男のこと
近江国小川村
処士への道
武士の変質
米子から伊予大津へ
"明徳"
風早郡奉行
桃源郷の実現
処士をめざす
事 件
"肱川あらし"
圭角の人
新谷藩行き
宇都宮拙斎
若い門人たち
大洲城大講義
<下>
御用学者
林羅山への挑戦
睾魚之泣
春愁
脱藩
帰郷
馬方の又左衛門
"厩火事"
鯉と盆栽
地域の人々
大洲からの客
愛敬
馬の心、木の心
藤樹会所
加賀左七郎入門
藩山と藤樹
誰かこれありや
著者経歴
童門 冬二(どうもん ふゆじ)・・・1927年生まれ。東京都庁にて、課長、部長、広報室長、企画調整局長、政策室長等を経て退職。著書多数。
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