「日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか」山本 七平
2006/08/14公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(83点)
要約と感想レビュー
日本人は信用できない理由
「日本人は信用できない、理解できない」という外国人が多いと著者は言います。私は日本人ほどお人好しで、正直な国民はいないと思うのですが、日本人への不信感はどこから来るのでしょうか。それにはまず、歴史をさかのぼる必要があるでしょう。
この本は、1972年に書かれたもので、この年に、日中国交正常化が行われています。そしてその陰で、日本と台湾の間で締結されていた日華平和条約は一方的に破棄されました。著者は、日中国交正常化は、日本人の特性を理解した中国の上手な世論操作と、原則よりも空気に流される日本人の特性が出ているとしています。
つまり、日本人には原理原則に基づいた議論が存在しないというのです。原理原則がないから、簡単にプロパガンダや空気によって行動を左右されてしまうのです。原理原則がはっきりしていれば、行動がブレる可能性は減るということなのでしょう。
では一体秀吉はなぜ朝鮮に攻め込んだのか?・・・日本がなぜ中国に進攻し、どういう理由で南京攻略をやったのか?なぜ真珠湾を攻撃したのか?なぜ田中首相と新聞記者の大群が北京へ飛んだのか?・・・外相の一片の声明で日華平和条約を破棄しても一言の反論も疑問の提示も起こらぬのか?(p171)
感情的な報道
こうした日本人の特性は、歴史において多くの理解不能の出来事を引き起こしています。その一つに、虐殺の真偽について話題の多い、日中戦争における南京攻撃があります。著者は、南京攻撃の本質の問題として、日本が中国に提案した無条件降伏ともいえる提案について、中国が受諾することを12月8日に確認したのに、12月10日に南京城総攻撃を開始したことが理解不能としています。
つまり、強盗に「金を出せ」と言われたから金を渡したら、殺されてしまった、というようなわけです。そして、南京陥落を称える当時の新聞の論調などから南京攻撃は当時の国民感情からきたものであると分析しています。当時の首相近衞文麿は「とかく我国の外交論には感情論が多い」と書いているという。著者は当時から「評論家」であるべきはずの新聞が、逆に「感情」の代言者となって南京陥落を報じている新聞を批判しています。
南京事件に関する「虚報」と、事件の本質との関係・・・「ポツダム宣言に等しきものを提示しておいて、相手がそれを受諾すると通告したら、提示した本人がいきなり総攻撃を開始した」というこの問題の「核」ともいうべき事実(p48)
原則なき日本人
こうした日本人の原則のなさは、「人の命は地球より重い」(実際は地球のほうが重いのですが・・・)といった理由で、法律を曲げてでもハイジャック犯の言いなりになってしまうという事例にも表れていると思います。
やや難しい本ですので、二度読み返しましたが、日本人の特徴である、感情が原則よりも優先してしまうという欠点を十分にかみ締めることのできる一冊だと思います。★4つとしました。
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この本で私が共感した名言
・琉球は「両属の国」である。しかし日本は廃藩置県と同時に、これを一方的にまず鹿児島県へ編入した。・・・[1880年]に出来上がった協定は「沖縄分割案」で、それでは宮古・八重山両群島は中国領であって日本領ではない。日本側はこれを承認し、中国側は拒否した。・・・こういう問題を、何らかの機会に法的に決着をつけておかないのは、日本の「悪しき伝統」の一つかもしれない。(p263)
・理念としての「中国」と現実に中国大陸を支配している「中国」との二重映像が、絶えず日本人を躓かせるのであって、明治以降の日中交渉史は、実にこの躓きの歴史である。日本人は絶えず「中国に裏切られた」と感ずる。(p103)
【私の評価】★★★★☆(83点)
目次
1章 感情国家・日本の宿痾―日中国交回復と日支事変に共通する歴史的問題点
2章 鎖国時代の中国大ブーム―家康による日中国交回復と、朱舜水が及ぼした影響
3章 尊皇思想の誕生―なぜ京都町奉行は、竹内式部に慴伏したのか
4章 明朝派日本人と清朝派日本人―「日本国王」を受け入れた足利義満の中国観
5章 太閤式・中国交渉の失敗―秀吉は、なぜ明との交渉を決裂させ、再度の朝鮮出兵にいたったか
6章 朝鮮の後ろには中国がいた―新井白石が朝鮮来聘使問題に見せた傑出した外交感覚
7章 逆転する中国像―その後の対中政策を決定した頼山陽の『日本外史』が誕生するまで
8章 中国を忘れた日本―田沼時代から明治維新へ、中国蔑視時代の対中関係
9章 「外なる中国」と「内なる中国」―二・二六事件の将校に連なる近代日本の天皇観と中国観
著者経歴
山本 七平(やまもと しちへい)・・・1921年生まれ。青山学院高商学部卒。戦時中は、砲兵少尉としてフィリピン戦線を転戦。戦後、山本書店を設立し、聖書、ユダヤ系の翻訳出版に携わる。著書多数。
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