「勇気をくれる日本史 誰も知らない偉人伝」白駒 妃登美
2018/12/04公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(85点)
要約と感想レビュー
著者は10代の頃は、日本が嫌いだったという。ところが20代となって国際線の搭乗員となり海外から客観的に日本を見ると、日本の良さを再発見しました。
日本の歴史を学ぶことは、その時代に生きた人々の思いを受け取り、私たちの生きる力にすることであり、それを伝えていくことが私たちの使命なのです。
・ウズベキスタンの母親たちは、愛する我が子にこんな言葉を贈るそうです。「日本人は戦いに敗れても、決して誇りを失うことなく、真面目に働いて立派な仕事をしたのよ。あなたも日本人のように生きなさい」(p147)
明治維新からおよそ70年で世界大戦が起こり、そして今また、戦後およそ70年が経過しています。過去70年は先の大戦の敗戦でなぜ日本は負けたのか、日本は侵略者だったのか、という議論がされていました。
著者はもうそうしたことから卒業し、先人の作りあげてきた史実を伝え「日本人に生まれてよかった」と誇りを持てるような伝えていくことが大事ではないかと言うのです。
・インドネシアの大学教授は・・・日本が長年にわたって統治していたのは台湾と韓国です・・ともに先進国じゃないですか。欧米が植民地支配をしていた国のどこに先進国があると言うのですか。日本が統治していた国や地域だけが、先進国になっているのですよ(p69)
朝鮮と中国を除けば、日本に対して好意的な国ばかりというのが一般常識です。この本で紹介されている先人の偉大な歴史を引き継ぎ、私たちが新たな歴史を作っていかなくてはならないのでしょう。
白駒さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・私は講演のときに、しばしば「もしも日露戦争で負けていたら、私の名前はナターシャだったかもしれません」と冗談を言いますが、あながちそれも冗談ではなかったかもしれないのです(p17)
・日露戦争の勝利は・・もし日本がこの戦いに敗れていたら、白色人種による世界支配が完了したと言われていて、それを水際で防いだ・・・支配を受けていた人々には希望と勇気を与えたのです・・日本には清やベトナムからの留学生が増加します(p56)
・「諸国から訪れる旅人たちよ。この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」・・パラオ諸島の一つ、ペリリュー島に、この詩が刻まれた石碑があります。詩を読んだのはミニッツ提督、第二次世界大戦において米国の太平洋艦隊司令官を務めた人物です(p181)
・「日本は貧しい。しかし高貴だ」こう述べたのは、1921(大正10)年から1927(昭和2)年まで駐日フランス大使を務め、詩人としても著名なポール・クローデルです。クローデルの言葉は、以下のように続きます。「世界でただ一つ、どうしても生き残ってほしい民族を挙げるとしたら、それは日本人だ」(p164)
・第二次世界大戦下のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害に際して、当時リトア赴任していた外交官・杉原千畝さんがユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたこと。杉原さんが助けたユダヤ人の命は、6000人以上に上ると言われます・・その多くが、ポーランド系のユダヤ人(p170)
・1921年(大正10)年、イギリスの植民地だったスリランカでは、人々は牛馬のように扱われていました。そのスリランカの首都コロンボに・・日本海軍の艦隊が、ヨーロッパ歴訪の途上に寄港したのです・・この時、ある少年の母親は丘の上に少年を連れて行き、「見なさい、あれがロシアを破った日本海軍の艦隊よ。同じアジア人なのよ。アジア人もやれば出来るのよ」・・この少年は猛然と勉強して、スリランカの独立運動に加わり、やがて大統領になるのです(p176)
・李登輝さんの言う「日本精神」とは何でしょうか?それは、「公に生きること」。自分さえよければいいという考え方ではなく、みんなの幸せを考えて痛みを分かち合うこと。その結果として、恩恵もみんなで分かち合うことができるようになる(p229)
・お父さん お母さん 喜んでください
祖国日本興亡のとき、茂も待望の大命を拝しました。
心身ともに健康で、任務につく日を楽しみに、
日本男児と、大橋家に、父と母の子供と
生まれた喜びを胸に抱いて、後に続く生き残った青年が、
戦争のない平和で、豊かな、世界から尊敬される、
立派な、文化国家を再建してくれる事を信じて、
茂はたくましく死んでいきます。
男に生まれた以上は、立派な死に場所を得て
大空の御盾となり、好きな飛行機を、我が墓標と
散る覚悟であります。
親より先に死んで、親孝行出来ないことをお許し下さい。
お父さん、お母さん、長生きしてください。
お世話になった皆様方に、宜しくお伝え下さい。
この便りが最後になります。
昭和20年3月24日
遠き台湾の特攻基地より 茂
父上様
母上様
身はたとえ 南の空で果つるとも
とどもおかまし 神鷲の道
大命を拝して18歳 茂(p234)
KADOKAWA (2018-06-15)
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【私の評価】★★★★☆(85点)
目次
第1章 日露戦争"それぞれの場所で咲く"
第2章 日本人の知らない日本人"日本人の美意識"
第3章 世界から見た日本人"感謝と報恩の歴史"
第4章 東京オリンピックと復興"1964年、そして未来へ"
著者経歴
白駒 妃登美(しらこま ひとみ)・・・福沢諭吉に憧れ慶應義塾大学に進学。卒業後、日本航空に勤務し、1992年には宮澤喜一首相訪欧特別便に乗務。その後、企業の接遇研修講師、結婚コンサルタントとして活動中に、大病を患う。「今を受け入れ、この瞬間に最善を尽くし、天命に運ばれていく」という天命追求型の生き方にシフトする。生き方を変えたことで奇跡的に病状が快復。2012年に(株)ことほぎを設立。講演や著作活動を通じ、日本の歴史や文化の素晴らしさを国内外に向けて発信している。
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