「田中清玄自伝」田中 清玄、大須賀 瑞夫
2018/12/05公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(87点)
■弘前高校で共産革命運動を行い、
治安維持法違反で逮捕される。
その後、共産主義を捨て、
禅僧山本玄峰老師のもとで修業し、
敗戦直後に昭和天皇と面談する。
戦後は建設会社を経営しながら、
山口組の岡田組長とともに
河野一郎、岸伸介、児玉誉士夫らと
勢力争いをしていたという。
こんな人間がいたのだ?!
とびっくりしました。
・児玉が河野一郎政権を作るため、
全国の博打打ちと右翼を糾合した
「東亜同友会」という組織を
作ろうとしているという話だ。
その背後には岸伸介がいた。
すぐに取って返し、田岡さんと相談して
「麻薬追放・国土浄化連盟」という組織を作り、
全国キャンペーンを始めた。
もちろん彼らの野望を打ち砕くためです・・
麻薬追放は彼等の資金源を断ち切ることを
意味しましたからね(p176)
■日本共産党の書記長であった経験から、
共産主義の本質を批判しています。
そもそも共産主義とは、
観念論であり、机上の空論である。
そうした理論を絶対視し、
権力争いを行っているのが
社会主義国であるというのです。
そうした反省から、
天皇を中核とした日本を
守る活動をしてきたという。
共産主義のやり口を知っているがゆえに
説得力があると思いました。
・共産主義は結局なんだったのか・・・
自分の定規に合うような理論を現実から抽出して、
勝手にこね上げ、それをマルクス主義だ、
社会主義だと銘うって、それを絶対視したところに、
根本的な間違いがあるということです。
現実ですよ。現実に適合しているか、
していないかの問題なんだ(p83)
■ハプスブルク家の当主、
オットー・フォン・ハプスブルク大公と交流があり、
イギリスのロイズの会員であったり、
鄧小平や昭和天皇と面談するなど
政治家、実業家の人脈が異常です。
もう少し田中 清玄という人間を
調べてみたくなりました。
大須賀 さん
良い本をありがとうございました。
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■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・一人の日本人としての私に、共産主義、
マルクス主義を受けつけさせないものは、
つまるところ、私が日本民族の一人であり、
日本民族のまさに中核には、
天皇制があるということです(p80)
・私は「昭和16年12月8日の開戦には、
陛下は反対であったと伺っております。
どうしてあの戦争をお止めにはなれなかったのですか」
と伺った。・・そうしたら言下に、
「自分は立憲君主であって、専制君主ではない。
憲法の規定もそうだ」と、はっきりそう言われた。
それを聞いて私はびっくりした(p140)
・先帝陛下にお会いしたときに、
私から申し上げたのは旧ソ連のことでした・・
「ソ連は日本の復興と強国化を恐れ、
そのために日本の解体と天皇制の廃止を
狙っております。警戒してください。
スターリンは共産主義でも何でもありません。
彼の本質は強権主義です」(p141)
・先帝陛下があれだけ平和を唱え、日米戦争を
回避しようとされたのに、民衆はそれを許さなかった。
その民衆を動かしたのが軍部と官僚たちだ。
そしてそのお先棒を担いで旗を振ったのが
ジャーナリズムだ・・
現在もまだそういう馬鹿どもが残っている・・
衆愚にさせる奴がいる・・・
大衆を衆愚にさせちゃいかんということだよ。
政治家、官僚、そして新聞の責任は大きいぞ(p317)
・靖国神社というのは、そもそも由来をたどれば、
「官軍」の犠牲者を祀ったお社だった。
いうなれば「官軍」の護国神社のような存在ですよ・・
俺のような会津藩の人間にとっては、
何が靖国神社だぐらいのもんですよ(p321)
・アメリカは今もっと強烈に中国の強大化を
阻止しようと考えています。その点では
アメリカもソ連も変わりはありません。
これが現実の世界政治というものです。
イデオロギーなどにだまされちゃいけません(p159)
・1927年7月15日、コミンテルン日本問題特別委員会
によって、いわゆる「27年テーゼ」が出されました。
天皇制の廃止がスローガンの一つだった・・
日本共産党中央委員会は、この「27年テーゼ」を
もとに、日本共産党の再建・建設を党議決定しますが、
このときにも心底で大きな違和感を感じていました・・
スターリンは天皇制を廃止することで、日本の力を
弱めることを目標に据えたんです(p79)
・ソ連は敗戦と同時に、
多くの日本兵士を不当にも抑留し・・
スターリンは対日諜報工作のために、
この抑留者の中から選抜した人間を特別に訓練して、
日本に送り返したのです(p152)
・山縣を、野坂はソ連スターリン一派に売った。
問題はそれなんだよ。野坂はそういう人間だ。
共産党ってそんなもんだ。人格なんかあるもんですか。
自分らの出生と存在のためには何でもやる・・・
共産主義者になったから、人格が向上するなんて、
そんな事はあり得ない。もっと悪くなりやがる(p66)
・1963(昭和38)年11月9日に起きた狙撃事件の真相・・
児玉はもう一度、岸の独裁政権を作ろうとして、
河野一郎並びに米国のCIAと組んで動いていた・・・
この動きを一番妨害したのが僕だった。
それで佐藤栄作さんや山口組の田岡一夫組長から
『児玉が君を狙っているから用心した方がいい』と
言われていたんです(p168)
・私は反スカルノ、反共、それからオランダからの
完全な独立を目指して運動してきたインドネシアの
人々と、密かに連絡を取り合い、出来ることは
精一杯支援してきました(p210)
・田中さんは英国に三百年続く世界的な保険機構、
ロイズの会員でもあります・・・
私がこの会員に選ばれたのは、日本が石油危機のころ、
中東におけるイギリス領有の油田の割譲を受け、
イギリスは日本が支払ったその金をもとに、
北海油田の開発ができたということがありました・・・
そのときのお礼の気持ちというのが、
私がロイズの会員に加えられた理由なんです(p235)
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【私の評価】★★★★☆(87点)
■目次
第1章 会津武士と武装共産党
第2章 昭和天皇と玄峰老師
第3章 オットー大公と田岡一雄
第4章 世界の石油と鄧小平
第5章 ハイエク教授と今西錦司教授
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