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日産の天皇と命をかけた戦い「日産自動車 極秘ファイル 2300枚「絶対的権力者」と戦ったある課長の死闘7年間 」川勝宣昭

2020/12/17公開 更新
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「日産自動車 極秘ファイル 2300枚「絶対的権力者」と戦ったある課長の死闘7年間 」川勝宣昭


【私の評価】★★★★☆(88点)


要約と感想レビュー

■かつて日産では人事を労働組合に
 事前協議しなくてはならず、
 いかなる施策も労働組合の了解が
 なければ実行できませんでした。


 著者が日産に入社したとき、
 入社式で川又克二社長が訓示し、
 その次に日産労連塩路会長が登壇し、
 会社の批判を始めたという。
 社長はうなだれて聞いているだけ。


 この異様な状況は
 川又社長が興銀出身であり、
 求心力を維持するために労組との
 関係を重要視したため
 日産労連会長の塩路一郎氏の暴走を
 許したと著者は分析しています。


・わたし自身は日ごろから、塩路独裁体制下の異常な労使関係に批判的な言動をとっていたため、"不良課長"として組合には知られており・・・私の周囲にもほぼ特定できる情報連絡員(スパイ)が配置されていた(p25)


■広報室課長であった著者は、
 誰から言われるのでもなく
 自分の判断で塩路日産労連会長の
 追い落としを画策します。


 それまで日産労連に逆らった人間は、
 周囲の人間から吊し上げをくらい、
 それでも逆らうと、人事部を動かして
 左遷・退職に追い込まれたという。


 実際、豪州日産社長でありながら、
 労組を批判したことで人事部付の窓際に
 左遷された人が、著者の労組との戦いを
 やめるよう著者を説得しています。


 それでも著者は一課長でありならら、
 仲間を集め、情報を集め、
 労組との戦いを始めたのです。


・反組合的な動きをした従業員は、各工場で組織された秘密グループによって、つるし上げを食らわされる。それでも行動が変わらない従業員については、労組は会社の人事に通報する。人事は労組との関係を維持するため、その従業員を退職へと仕向けていく。工場を押さえている労組には、それが可能だった(p45)


■塩路会長には金と女に弱点がありました。


 豪邸に趣味はヨットで、毎晩銀座や
 六本木で飲み歩き、女もいる。


 著者は塩路会長の身辺を調べながら、
 週刊誌や怪文書によって
 情報をリークしていきます。


 最終的には写真週刊誌で
 夜の女とヨットで一緒のところなどを
 報道され、塩路会長は引退することに
 なるのです。


・塩路会長フィアル・・・自宅は7LDKの鉄筋コンクリートの戸建てだ・・税務署に申告した課税所得額は1978年度1207万5000円、1979年度1387万9000円、1980年度1586万4000円・・当時50代前半。同世代の日産社員よりはるかに高い年収を得ていた・・趣味はヨットだった・・・クルーが7名いないと動かない・・・戦隊艤装一式3500万円・・ゴルフ会員権・・4300万円・・・夜の飲み代は取引先にツケを回す(p79)


■この本の落ちは、著者が苦労して
 労使関係を正常化したものの、
 日産の新経営陣は旧態依然の経営を続け、
 ルノーの軍門に下ったということでしょう。


 この本をバックチェックするために
 塩路一郎氏の「日産自動車の盛衰」という
 本を読んでみましたが、著者のいう
 「労組が経営にも介入するという異常な
 労使関係」が事実であることがわかりました。


 塩路氏はこの本で、
 日産が倒産しそうになったのは
 石原社長が原因だと主張し、
 労働組合について一言の言い訳もありません。
 両方悪かったということでしょう。


 川勝さん、
 良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言

・工場では、人事権に加え、現場の管理権もその多くが労組の手に渡っていた・・労組に対して批判的な工場の職制に対しては、組合事務所への「出入り禁止」の処分を下し、事前協議を受け付けない。事前協議ができないと、工場は何もできない。そこで、職制は労組に屈服する・・職制は自己批判の「詫び状」を書かされた(p37)


・労組が休出になかなか応じてくれないときは、会長の塩路一郎に直接頼むしかない。本人は毎日のように、銀座や六本木の高級クラブで豪遊する。そこで、役員がその行きつけの銀座のクラブで夜中の12時、1時まで本人が来店するのを待って、承認を依頼するのだ(p38)


・生産性の低さはコスト競争力の弱さに結びつく。同じ大衆車であるトヨタのカローラと日産のサニーとでは、製造原価で一台あたり5万円の差があった。5万円といえば、エンジン1台分のコストに相当した(p53)


・役員たちの多くは、労使対立を石原社長対塩路会長の「トップ同士の争い」と傍観し、表だって動いて、ともに戦おうとはしなかった・・・購買担当のL副社長でさえ、・・「長いものには巻かれろっていうのも一つだよ」と裏でいい出す始末だった(p68)


・組織戦の開始・・・「もし、川又会長が取締役会で石原会長解任動議を出したら、どうされますか」・・・「ぼくは賛成しないよ」と明言する役員もいたが、自分の考えは明らかにせず、「川又会長も、そんなことはしないでしょう」と言葉を濁す人が多かった(p197)


・塩路一郎は、UAWの組織率が高い地域での建設へと話をもっていこうとした。一方、石原社長は、現地の工場に米国流の労使関係が持ち込まれることをなんとしても避けたかった・・・同じことが英国進出でも再現された。「自分に英国での立地選定権を与えろ。そうしたら英国進出に賛成する。欧州の労組にも話をつけてやる」(p113)


・(1985年)9月には・・・就業時間中に行った組合活動については、「ノーワーク・ノーペイ」が原則となり、したがって、組合活動は就業時間外に行うべきであるという世間の常識がようやく実現した(p237)


・戦いを経験しなかった新体制の経営陣は、古い体質を引きずったままで、本質的な目的は達成できなかったという点では、何も変わらなかった(p277)


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▼引用は、この本からです
「日産自動車 極秘ファイル 2300枚「絶対的権力者」と戦ったある課長の死闘7年間 」川勝宣昭
川勝 宣昭、プレジデント社


【私の評価】★★★★☆(88点)


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目次

第1章 日産を蝕む「エイリアン」を倒す
第2章 戦う社長の登場
第3章 古川幸氏の追放劇
第4章 石原政権、最大の危機
第5章 ゲリラ戦の開始
第6章 辞職も覚悟した「佐島マリーナ事件」
第7章 組織戦――最後の戦い
第8章 塩路体制、ついに倒れる
第9章 戦いは何を変え、何を変えなかったか


著者経歴

 川勝宣昭(かわかつ・のりあき)・・・日産自動車にて、生産、広報、全社経営企画、更には技術開発企画から海外営業、現地法人経営者という幅広いキャリアを積んだ後、急成長企業の日本電産にスカウト移籍。同社取締役(M&A担当)を経て、カリスマ経営者・永守重信氏の直接指導のもと、日本電産グループ会社の再建に従事。「スピードと徹底」経営の実践導入で破綻寸前企業の1年以内の急速浮上(売上倍増)と黒字化を達成。


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