やっちゃった「日産の創業者 鮎川義介」宇田川勝
2021/02/12公開 更新本のソムリエ [PR]
Tweet
【私の評価】★★☆☆☆(69点)
要約と感想レビュー
鋳物会社から自動車事業へ
日産の歴史について学ぼうかと考え手にした一冊です。鮎川家は明治維新によって没落し、困窮したものの、井上馨の仲立ちによる婚姻関係によって門閥を形成しました。
そうした門閥の一人である鮎川義介は、若い一人の技師として鋳物工場で働き、自ら技術を習得して起業します。ところが、その鋳物会社は8年連続赤字。倒産の危機を親戚の増資で生き延び、その後の世界大戦勃発で大儲け。その後、鋳物会社から自動車事業へ挑戦することを決意しており、まさに挑戦者に見えます。
1910年10月・・資本金30万円の戸畑鋳物株式会社を創立した・・・創業から1914(大正3)年上期まで八期連続欠損を続けた。この間、1913年上期には海軍から受注した演習用砲弾製造に失敗・・・増資を行わなければ倒産止むなしという事態に直面した・・・東京藤田家の支援で資本金を100万円に増資して破産を回避した直後、偶然にも第一次世界大戦が勃発した(p35)
外資導入に積極的
興味深いのはグループの株式を一般公開し、市場から集めた資金で企業を買収したり新規事業に投資したりしていることです。これは現代の株式市場を利用した資金調達や、M&A(合併・買収)の手法を先取りしているように見えます。
また外資導入に積極的であり、満州へのドル資本導入、敗戦後の世界銀行の資本を使おうとするあたり従前の手法を潔しとしない思考をしているように感じました。
公開持株会社日本産業・・・大衆資金を動員してコンツェルン経営を実践するという鮎川のビジネスモデルは当時の財界通念とはかけはなれており、「無軌道的なかつ神がかりな観念論」であると批判された(p82)
水力発電を開発しようとして挫折
満州国ができた際には、満州で自動車と飛行機を作ろうとし、アメリカ資本を導入しようとして軍部から反対され挫折。戦後は世界銀行の金を使って大型水力発電を開発しようとして挫折。結局、国策会社である電源開発(株)が水力発電開発を引き継いでいます。
製品としての自動車と違って創業者の日本産業の経営は「やっちゃった日産」と表現できるくらい挑戦的かつ先進的に感じました。もう少し調べてみます。宇川田さん、良い本をありがとうございました。
無料メルマガ「1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』」(独自配信) 3万人が読んでいる定番書評メルマガ(独自配信)です。「空メール購読」ボタンから空メールを送信してください。「空メール」がうまくいかない人は、「こちら」から登録してください。 |
この本で私が共感した名言
・鮎川義介の正式な読み方は「あいかわ よしすけ」である。鮎川が外国企業と交わした契約書には、いずれも「Yoshisuke Aikawa」とサインしており・・(p7)
・1933年上期頃までの日本産業は持株会社といっても久原財閥から引き継いだ日本鉱業、日立製作所、日立電力等の株式を所有するだけであった(p90)
・日産コンツェルンの本社日本産業が、1937(昭和12)年に「満州国」に移転して、社名を満州重工業開発(満業)と改称し、「満州産業開発五カ年計画」の経営主体となった(p55)
・1939年11月24日、日本フォード40%、日産自動車30%、トヨタ自動車工業30%の出資による年産三万台の生産能力を持つ、資本金6000万円の新会社を設立する契約書が三社の間で締結された・・・陸軍省が強固に反対し、日米合同の新設会社設立を認めなかった(p60)
・鮎川の満州へのアメリカ資本導入構想が明らかになると、元ドイツ大使本多熊太郎や軍部中堅将校の一部、そして右翼陣営は「第二のハリマン事件」の首謀者として鮎川を厳しく糾弾した(p119)
・鮎川は最後まで日米戦争に反対する態度を崩さず、1941年11月28日、左の「日米戦争回避試案」を武藤章陸軍省軍務局長を通じて陸軍大臣を兼務した東條首相に提出した・・・東條首相は「今はもうその段階にない」として、この「日米戦争回避試案」を鮎川に差し戻した(p136)
・(戦後)鮎川義介はアメリカ資本の導入工作と関わらせて、電源開発と道路網整備の推進に力を入れた。前者の電源開発について、鮎川はわが国の豊富な天然資源である降水量を活用した大規模な水力発電所建設を構想した・・・日本版TVA構想・・・特殊法人電源開発株式会社に引き継がれた(p176)
【私の評価】★★☆☆☆(69点)
目次
第1章 生い立ちと金持にならない誓い
第2章 産業開拓活動
第3章 日産コンツェルンの形成
第4章 満業コンツェルンの経営
第5章 社会企業家としての活動
終章 鮎川義介の企業家活動の特質
著者経歴
宇田川 勝(うだがわ まさる)・・・1944年千葉県に生まれる。1975年法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程単位取得退学。法政大学経営学部教授を経て、法政大学名誉教授、経済学博士
この記事が参考になったと思った方は、
クリックをお願いいたします。
↓ ↓ ↓
人気ブログランキングへ
メルマガ[1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』] 3万人が読んでいる定番書評メルマガです。 >>バックナンバー |
|
この記事が気に入ったらいいね!
コメントする