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「金子と裕而 歌に生き 愛に生き」五十嵐佳子

2020/07/08公開 更新
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【私の評価】★★☆☆☆(69点)


要約と感想レビュー

NHKの連続テレビ小説「エール」を見て手にした一冊です。この本によれば主人公の古関裕而が国際作曲コンクールで入賞した記事を見て、金子が手紙を書いて二人の交際がはじまったという。当時昭和初期は、見合い結婚が常識で、男女が付き合うことが不純異性交流と言われた時代です。そうした時代に、音楽を仕事として生きていく人と結婚するという決断には大きなものがあったと思われます。


この本の中でも、母親が「誰と一緒になるかで、女の人生は変わってしまうんだよ。安定した仕事を持つ人と結婚するのが幸せなの。見合いがいちばん・・恋愛なんて不良のすることだ。ふしだらだよ」と説得する会話が出てきます。


・「音楽の生きているの。それがすべてなの」「非常識過ぎて、あきれるわ」「それ以上、言わないで。お母さん、私はそういう裕而さんが好きなんだから(p105)


時代は違うものの大正から昭和初期には関東大震災、スペイン風邪、世界大恐慌、他国との戦争と現代社会と同じようなことが起きています。スペイン風邪は大正7年から9年にかけて流行して、日本全国で40万人を超す死者を出しています。ペニシリンが実用化される前なので、肺炎は死に直結する病だったのです。大正12(1923)年の関東大震災では壊れた横浜市内の瓦礫などを使って山下公園が造成され、昭和5(1930)年3月に開園しています。


80年で歴史は繰り返すといわれるように、ちょうど80年前の昭和15(1940)年に第二次世界大戦がはじまります。戦争中には古関裕而は三度も出征しています。召集令状はどのような基準で発出されていたのでしょうか。出征の経験を作曲に生かしたという見方もあると思いますが、運が悪ければ、昭和の名曲が生まれなかった可能性もあるのです。


・「慰問団に、楽団の指導者として行ってくれと、日本放送協会から頼まれた」ある日、家に戻ってきた裕而が金子に言った・・中支に従軍したばかりなのに、裕而がまた戦争のまっただ中に行く(p218)


それにしても、「紺碧の空」「六甲おろし」「若鷲の歌」、全国高等学校野球選手権大会の「栄冠は君に輝く」、1964年東京五輪の開会式行進曲「オリンピックマーチ」など有名な曲が多いことにびっくりしました。早慶戦の三日前に、『紺碧の空』が完成したという逸話も有名です。


古関裕而は作曲家としてコロムビアレコード専属になっており月々300円の給与を得ていました。義兄の月給が120円、巡査の初任給が45円という時代であり、裕而は大出世していたのです。戦前の堅苦しい時代に、音楽に人生をかけた男と恋愛結婚した歌姫というよいお話でした。当時としては画期的なことだったのだと再認識しました。五十嵐さん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言

・夢の中で、金子は16歳だった・・・兄は大連支社に派遣され・・明治38年に日露戦争に勝利した日本は、遼東半島の先端に位置するこの大連の租借地をロシアから譲り受けた。それから23年、大連は様々な国の人たちが入り交じる大都市となっていた(p5)


・この年(昭和6年)の9月18日、満州事変が起きる。中国の遼東半島に駐留していた関東軍が主導となり、満州国を建国した(p140)


・外国人によって別荘地として見いだされた軽井沢には、今も多くの国の人が滞在し、近くには西洋料理のレストランも並んでいる。男たちはゴルフやテニスに興じ、林の中を歩けば馬の駆ける足音が聞こえ、昼下がり、万平ホテルや三笠ホテルの喫茶店には有産階級のマダムたちが集まっている(p201)


▼引用は、この本からです

五十嵐佳子、朝日新聞出版


【私の評価】★★☆☆☆(69点)



著者経歴

五十嵐佳子(いがらし けいこ)・・・山形県生まれ。作家、フリーライター。お茶の水女子大学文教育学部卒業。女性誌を中心に広く活躍


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