「自叙伝 松永安左エ門」松永安左エ門
2021/07/28公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★☆☆☆(66点)
要約と感想レビュー
福沢諭吉や福沢桃介との親交
「電力の鬼」と呼ばれ、戦時中に国営化された電気事業を民営化し、地域別に電力供給の責任を持たせる九電力体制を主導した松永安左エ門を更に深く知るために手にした一冊です。この本では幼少期から電気事業を始める前の明治42年、松永安左エ門35歳くらいまでの思い出が書かれてあります。
松永安左エ門は慶応義塾に進み、福沢諭吉と家族ぐるみの付き合いをし、養子の福沢桃介(ももすけ)とも親しくなっています。後に松永安左エ門は、桃介と電気事業を立ち上げることになるのです。
31年頃福沢(諭吉)先生が時事新報に「実業論」をお書きになって、「日本は天然資源が少ないと言うが気を付けて見ればあるじゃないか?山高く水多く、水力電気を起こすには、世界部類の国だ(p44)
石炭事業に取り組む
慶應義塾を出てからの松永安左エ門は、豆糠や綿花のブローカーで経験を積みながら、石炭の取引を中心に商売を広げていきます。石炭取引は新興勢力だったためか、談合破りもしています。石炭事業では大きく儲けることもあれば、石炭鉱山や上海支店の経営で失敗し、大きく損失を出したりもしていました。
さらに、明治40年の株式相場の暴落によって大きな損失を出したのをきっかけに、今後は着実な事業だけに注力していこうと考え方を大きく変えたことがわかります。
学校を出てから・・・考えてみれば、本を読む事も出来ないし、・・・金を得ることにのみまい進し、没頭していた。これから修養もしなければならない。書物も読まなければならない・・・今、自分は生涯の転換期に立っているのだ(p164)
鉄道事業から電気事業へ
その後、九州の鉄道事業、電気事業に投資していくことになるのですが、この本では電気事業時代のことにはほとんど触れてません。注目すべきは副社長、社長を歴任した東邦電力で、米国ゼネラル・エレクトリック(GE)社へ人を一年から一年半ぐらい実習派遣したり、自ら欧米を視察し、技術力、ノウハウの取得に注力しているところでしょう。
また、当時の電気事業とは現代のインターネットのように全く新しい技術イノベーションであり、電力会社はベンチャー企業であったことも感覚としてわかりました。松永さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・予の欧米視察は、・・・復興の原理、繁栄の方策の検討に務めた。予の所見のモットウは、一に産業の社会的自由、協力による集中統制、経済的均衡の原則に基づく安定、合理化による資本労働の能率増進、個人のイニシエチーヴを求むる産業自治である。又国際的には通商の自由と和平とこれである(p235)
・私も今日電気事業に関しておっても、公益事業としての根本は、この正直と正確という事を本とする奉仕により他に無い事を信じて疑わない(p174)
・私はかねて、自分が成功する迄は、足手まといになるから家内を持たないという考えでいた(p141)
【私の評価】★★☆☆☆(66点)
目次
学生時代
学校を出た頃
福松商会創業時代
結婚時代
九州へ行くまで
著者経歴
松永安左エ門(まつなが やすざえもん)・・・1875年-1971年。東邦電力社長。戦後は政府の電気事業再編成審議会会長に就任し、九電力体制の枠組みを推進。「電力の鬼」と言われる。電力中央研究所を設立。
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