「「朝日」ともあろうものが。」烏賀陽 弘道
2019/11/25公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(83点)
要約と感想レビュー
現実を加工することが出世の最低条件
烏賀陽(うがや)さんは1986年朝日新聞に入社し、1991年から2001年まで「アエラ」編集部記者。2003年にフリーになっています。著者がなぜ朝日新聞を辞めたかというと良い記事を書けば評価されるのではなく、他社より先に報道するだけで「特ダネ」として評価されるからです。
さらに、記事の内容よりも朝日の方針を忖度して、現実を加工して報道することが出世の最低条件だったという。良い記事を書いても評価されないこと、現実を歪めて報道することに著者は耐えられなかったのです。
例えば、朝日新聞ニューヨーク支局にアメリカ人青年がアシスタントとして働いていたのですが、彼が取材、インタビューした記事を、記者が自分の署名を入れて紙面に出してしまったことがあったという。彼は「朝日新聞の記者は記事を盗む」と朝日新聞を辞め、日本に関する仕事からも離れたという。
また、バレたサンゴ・カメラマンはクビになりましたが、バレなかった捏造デスクや記者は処分なしなのです。著者が記事の捏造を報告しても、管理職がそれを握りつぶしていたという。自社の不正を黙認し、他社の問題を偽造するような会社に耐えられなかったのです。
先輩や上司からは「一年の担当の間に社会面に載る特ダネを一本は書け。そうでないとサツ回り失格」と、宣告され、「特ダネって、どんな話ですか。不祥事ですか」と質問すると、編集委員は「何でもいいんだよ。発表してない話なら」と本気で言っていたというのです。
だから著者が、息子を失った母親を取材したとき、自分の功名心のためにわが子を失って悲しみに暮れる母親を、紙面に引っ張り出すことになってしまい、仕事とはいえ自分を許せなかったという。
当時のぼくを毎日激しく苦しめたのは・・・「特ダネ」を書かないと社内で努力を認めてもらえないということだった・・ここでいう「特ダネ」は・・期日が来れば発表されてしまうようなものでも構わない(p46)
自社の不祥事は無視
その他、著者の朝日新聞での経験が続きます。あるデスクは仕事中に酒を飲み、自分の捏造記事を自慢する。記事の捏造を部下に強要するデスクがいたり、「前例がない」と言って原稿をボツにする上司がいたという。自費のアメリカ大学院留学を罵倒した人が、取締役になるなど、悪が出世するルールだったのです。
さらに、経費やタクシー券をチョロまかす同僚がいたり、アシスタントが書いた記事を、自分の署名記事として報道する記者がいたり、社用ハイヤーで奥様とフランス料理を食べに出かける幹部がいたという。他社の失敗は攻撃しながら、こうした自社の不祥事は無視するか握りつぶす。朝日新聞は普通の日本のマスメディアだったのです。
評価されるのは「努力」ではなく「苦労」である・・重要なのは「どんな記事を書いたか」よりは「ミスなく過ごしたかどうか」(p129)
「バレなきゃいいのさ」
朝日新聞の中で捏造記事を先輩が教えてくれるところが、リアルです。例えば、新人記者として津市に赴任して10日ほど経った1986年4月20日に先輩が「客がたくさん写っている絵はないのかね」と聞くので、「ありません。全然客がいないんです」と答えると、「そういう時は、そこらにいる職員にお客さんのふりをしてもらうんだよ」と教えてくれたという。
こうした先輩や上司があちこちに存在していたというのです。そうでなければ、捏造そのものを新入社員が思いつくはずがないということです。著者の上司であるデスクは、「バレなきゃいいのさ」と言っていたという。
著者は社内で夕刊廃止や、すべての記事に署名を入れること、記者クラブ廃止を提案するなどかなり先進的な人のようです。そうした著者は、朝日新聞には合わなかったのでしょう。著者から見ると、こんな人が出世するのか?!ということもあったようですが、それが現実であり、その現実を知っている人が出世するのです。烏賀陽(うがや)さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・「再販制度によって、レコード会社が価格を決めてしまい、小売店が値引き競争できないことが背景にあるのではないか」という趣旨の分析をした・・・担当デスクがすぐ反応した。「あまりあからさまに再販制度を批判しないようトーンダウンしてくれ、と編集長が言っている」というのである(p90)
・記者クラブに入ると・・・ボールペン、Tシャツ、時計・・・お土産も途切れることがない・・図書券、商品券、テレフォンカード・・名古屋市からのお中元も、ぼくの自宅に届いた(p107)
・上司に留学の計画を打ち明けてみた・・・「留学ってお前、そんな教養を深めるなんてことのために会社は時間をやれないぞ」・・「やる気がなくて仕事から逃げたがっている証拠」としか見なかった・・ぼくを恫喝したデスクの方は、02年に取締役になった(p164)
・ぼくがアメリカの大学院へ留学を決め、上司や先輩に挨拶をして回ったときも、真顔でこう言う人がいた。「ウガヤ君、そんなことをするとみんな嫉妬するよ。この会社は嫉妬社会だからね。周りに嫉妬された者は生き残れないんだ」(p237)
▼引用は下記の書籍からです。
【私の評価】★★★★☆(83点)
目次
ぼくはなぜこの仕事を選んだのか
みじめでまぬけな新米記者
パワハラ支局長
高校野球報道って偏向じゃないの
記者クラブには不思議がいっぱい
夕刊は不要どころか有害
朝日の人材開発は不毛の荒野だった
ぼくが初めてハイヤーに乗った日
捏造記事はこんな風につくられる
上祐へのインタビュー原稿がオウムに渡っていた
「前例がない」の一言でボツ
かつて愛した恋人、アエラ
さようなら。お世話になりました。
著者経歴
烏賀陽弘道(うがや ひろみち)・・・1963年、京都市に生まれる。1986年に京都大学経済学部を卒業し、朝日新聞社記者になる。1991年から2001年まで『アエラ』編集部記者。同誌では音楽・映画などポピュラー文化のほか医療、オウム真理教、アメリカ大統領選挙などを担当した。1998年から1999年までニューヨークに駐在。1992年にコロンビア大学修士課程に自費留学し、国際安全保障論(核戦略)で修士課程を修了した。2003年、退社してフリーランスとなる
朝日新聞内部告発関連書籍
「朝日新聞 日本型組織の崩壊」朝日新聞記者有志
「崩壊 朝日新聞」長谷川熙
「朝日新聞の大研究―国際報道から安全保障・歴史認識まで」古森 義久、井沢 元彦、稲垣 武
「「朝日」ともあろうものが。」烏賀陽 弘道
「朝日新聞血風録」稲垣 武
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