「氷川清話 夢酔独言」勝 海舟
2017/03/11公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(75点)
要約と感想レビュー
幕末・維新期のような非常の時には、第一に、予言的思想家があらわれるという。そして、第二に、その思想をじぶんがやる、という行動的志士があらわれるのです。そうしてまた、第三に、後戻りができなくくらいの政治的決断をする「政治的人間」があらわれるらしい。勝 海舟は、第三の「政治的人間」であり、幕府はもう終わりだと決断して「江戸無血開城」を行います。その相手は西郷隆盛であり、勝海舟にすべてを委任したのが、徳川慶喜なのです。
そして勝海舟の人物評がおもしろい。「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲(隆盛)とだ」は有名ですが、坂本龍馬が、「なるほど西郷という奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」といったのも、この本からの引用なのですね。また、日露戦争後、南満洲鉄道のアメリカの鉄道王エドワード・ハリマンとの共同経営を破棄して日米対立の原因を作った陸奥宗光については、官僚としては優秀であるが、その長としては不適当な人材と喝破しています。
中国との戦争についても、武力では中国に勝てるけれども、経済で中国に勝てるのか心配しています。また、中国とは日本のような国家ではなく、ただ人民の社会であるとし、政府があってもなくても関係ない。自分さえ利益を得れば、それで中国人は満足すると分析しています。まさに卓見ですね。勝さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・おれなどは、生来人がわるいから、ちゃんと世間の相場を踏んでいるョ。上った相場も、いつか下る時があるし、下った相場も、いつかは上がる時があるものサ。その上り下りの時間も、長くて十年はかからないョ。それだから、自分の相場が下落したとみたら、じっと屈んでいれば、しばらくすると、また上ってくるものだ(p32)
・こないだは二十年ぶりで慶喜公にお目にかかったが、その時おれは「よい事はみな御自分でなさったように、わるい事はみな勝がしたように、世間へはおっしゃい」と申しておいたよ(p44)
・いかに治民の術を呑みこんでいても、今も昔も人間万事金というものがその土台であるから、もしこれがなかった日には、いかなる大政治家が出ても、とうていその手腕を施すことはできない。(p97)
・人はどんなものでも決して捨つべきものではない。いかに役立たぬといっても、必ず何か一得はあるものだ。おれはこれまで何十年の経験によって、この事のいよいよ間違いないのを悟ったョ(p196)
中央公論新社
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【私の評価】★★★☆☆(75点)
目次
立身の数々を語る
古今の人物論
政治家の秘訣
天下の経済
外交と海軍
時勢の変遷
江戸文学の批評
処世の要諦
東京奠都三十年
著者経歴
勝海舟(かつ かいしゅう)・・・1823~1899。幕末・明治の政治家。本名安芳。通称麟太郎。下級幕臣の家に生まれ、蘭学を学び西洋兵学を修め、兵学塾を開く。ペリー来航後しばしば上書し、長崎の海軍伝習に加わる。咸臨丸を指揮して渡米し、帰国すると海軍操練所で坂本龍馬らを指導した。長州征討を調停するなど海軍関係以外でも活躍を見せるも、政策決定の主体を雄藩代表の合議制にしようという構想が徳川慶喜に反対された。江戸城総攻撃の前夜西郷隆盛と会見し無血開城に成功した
勝小吉(かつ こきち)・・・1802~1950。旗本男谷平蔵の三男。幼名亀松。左衛門太郎惟寅と称する。旗本勝甚三郎の養子となり、小吉と称する。勝家は小普請組で禄高41石。生涯を無役で終えた。勝海舟の父
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