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【書評】「レオナルド・ダ・ヴィンチ「(上・下)」ウォルター・アイザックソン

2025/08/15公開 更新
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「レオナルド・ダ・ヴィンチ「(上・下)」ウォルター・アイザックソン


【私の評価】★★★☆☆(79点)


要約と感想レビュー


レオナルド・ダ・ヴィンチは科学者

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は読んでおかなければということで、時間に余裕があるお盆に手にした一冊です。


レオナルド・ダ・ヴィンチといえば、「モナリザ」「最後の晩餐」などの作品を描き上げた天才画家のイメージですが、晩年は小金のために絵を描くことはありませんでした。


最低限の弟子や自分の生活費を稼ぐと、死体を解剖して観察したり、幾何学を研究したり、太陽光を集める鏡の製作方法を考え、自然の不思議さを解明することを優先していたのです。


特に死体の解剖では、体の各部位を絵として記録し、当時の医学レベルをはるかにしのぐ内容でした。例えば、心臓の研究では、大動脈の出口弁の3枚構造が閉じるのは、出口の太い部分に血液が流れ込んだとき、らせん状の渦ができるためだと解析していました。


医学がレオナルドの研究に追いつくには200年が必要でしたが、レオナルドは知識を発表したり共有しようとはせず、未発表のまま膨大な手稿集を残したのです。


晩年になると、芸術のためというより、世界の奥深なる美しさに迫りたいという純粋な欲求から科学的探究にのめりこんだ(上p17)

研究のためにパトロンを探す

レオナルドの生涯は、パトロンを探す旅のようでした。


フィレンツェで駆け出し時代はメディチ家に冷遇されていましたが、ミラノではスフォルツァ家に仕えました。スフォルツァ家が駆逐されると、フランス国王に鞍替えし、その後はチェザーレ・ボルジアに協力しました。その次はミラノ総督に任命されたシャルル・ダンボワーズです。


その後、メディチ家のジョヴァンニがローマ法王レオ10世に選出されると、その弟のジュリアーノがパトロンとなり、ローマにレオナルドを呼び寄せました。


そして60代最後のパトロンは、フランス王のフランソワ一世です。フランソワ一世はスフォルツァ家からミラノを奪還しており、レオナルドをフランスに誘い、アンボワーズの居城のとなりに邸宅を与えたのです。


レオナルドは、お金に執着せずに好きな科学的研究に没頭するためにパトロンを必要としたのです。


レオナルドは1500年から1506年にかけてフィレンツェを拠点に定め・・「モナリザ」と「聖アンナと聖母子」という二つの傑作のほか、・・「レダと白鳥」も描きはじめている・・チェザーレ・ボルジアの軍事顧問としても活躍した。空いた時間には数学や解剖学の研究に没頭した(下p37)

物質的な富よりも心の栄養

私生活では、レオナルドの恋愛対象は男性でした。当時は批判する人もいましたが、同時代のミケランジェロと違い、まったく気に病んでいなかったという。


レオナルド38歳のとき、当時10歳のジャン・ジャコモ・カプロッテと出会います。レオナルドは小悪魔を意味する「サライ」と呼ぶようになります。実際、窃盗事件を何度も起こし、嘘つきで頑固、物欲に溺れる人間だったようですが、30年以上レオナルドと同居することになるのです。


レオナルド55歳のときには、当時14歳のフランチェスコ・メルツィと出会います。レオナルドはメルツィの父親の許しを得てメルツィを実質的な養子とし、10年後の遺言の執行人となるほど信頼を得ました。


レオナルドが60歳を過ぎるとバッティスタ・デ・ヴィラニスがサライに代わり寵愛を受けるようになり、ミラノのブドウ畑をサライが半分、残りの半分をバッテッスタが受け取りました。この本では肉体関係は不明としています。


このようにレオナルドは物質的な富に興味はなく、科学的探究では心の興味を優先し、性欲でも自分の心を優先したというわけです。


ノートでは「物質的富にしか興味がなく、英知という心の栄養であり、本当の意味のある富にはまったく興味のない輩」を非難している(上p175)

レオナルドの生まれた時代

レオナルドは才能豊かな画家でしたが、多くの絵画を未完のまま放り出し、発注者からの不満に対してもあまり気にしていませんでした。そのためレオナルドの作品とされる絵画は、15点ほどしか残っていないのです。


その一方で自分の興味のある解剖や実験には時間を割いており、記録魔だったこともあり大量のノートを残し、レオナルドの偉大さを証明することになりました。


レオナルドが生きた1452年から1519年は、活版印刷の技術で書籍を容易に入手できるようになり、紙の供給も増えたよい時代でした。そして富と美術が発展したフィレンツェの工房で修行できたのが、レオナルドの才能と共鳴したのだと感じました。


学歴がない分だけ、実学と実験に力を入れ、合理的に世界を理解しようとしていたレオナルドが、天才というよりも、わがままな一人の男として感じることができました。アイザックソンさん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言


・レオナルドは「最後の晩餐」のさまざまな部分で、油絵の具とテンペラ絵の具の割合を試行錯誤していた・・・だがわずか20年後には絵の具が剥げ落ちはじめ、レオナルドの実験的手法が失敗だったことは明白になった(下p25)


・レオナルドは化石(特に海洋生物の化石)がどのようにして、高地の岩石層の上部に含まれることになったかを考えるようになった・・・レオナルドが導き出した結論は、地殻の大きな移動と変動が起き、山が隆起したというものだった(下p206)


・ミケランジェロの絵画には、くっきりとした輪郭線がある。それはスフマートやぼんやりとした境界線を好むレオナルドが、理念的、光学的、数学的、そして美的観点から完全に否定した手法である(下p130)


・(モナリザの)眉がない理由・・・作品が初めてクリーニングされたときに、眉は剥げ落ちてしまったのではないか・・・コッテは光フィルターを使い、当初存在していた眉毛の小さな痕跡を発見した(下p260)


▼引用は、この本からです
「レオナルド・ダ・ヴィンチ「(上・下)」ウォルター・アイザックソン
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ウォルター・アイザックソン (著)、文藝春秋


【私の評価】★★★☆☆(79点)


目次


【上巻】
序章 「絵も書けます」
第一章 非嫡出子に生まれた幸運
第二章 師に就き、師を超える
第三章 才能あふれる画家として
第四章 レオナルド、ミラノへ"寄贈"される
第五章 生涯を通じて、記録魔だった
第六章 宮廷付きの演劇プロデューサーとして
第七章 同性愛者であり、その人生を楽しむ
第八章 ウィトルウィウス的人体図
第九章 未完の騎馬像
第10章 科学者レオナルド
第11章 人間が鳥のように空を飛ぶ方法
第12章 機械工学の研究者
第13章 すべては数学であらわせる
第14章 解剖学に熱中する
第15章 岩窟の聖母
第16章 白貂を抱く貴婦人
第17章 芸術と科学を結びつける
【下巻】
第18章 最後の晩餐
第19章 母の死、そして苦難
第20章 フィレンツェへ舞い戻る
第21章 聖アンナと聖母子
第22章 失われた作品、発見された作品
第23章 殺戮王チェーザレ・ボルジアに仕える
第24章 水力工学
第25章 ミケランジェロとの対決
第26章 またもや、ミラノへ
第27章 解剖学への情熱、ふたたび
第28章 地球と人体を満たすもの、その名は水
第29章 法王の弟に呼ばれ、新天地ローマへ
第30章 人間の姿をした天使の秘密
第31章 モナリザ、解けない微笑の謎
第32章 最期の地、フランスへ
第33章 ダ・ヴィンチとは何者だったのか
結び キツツキの舌を描写せよ


著者経歴


ウォルター・アイザックソン(Walter Isaacson)・・・1952年生まれ。ハーバード大学で歴史と文学の学位を取得後、オックスフォード大学にて哲学、政治学、経済学の修士号を取得。米国『TIME』誌編集長を経て、2001年にCNNのCEOに就任。アスペン研究所CEOへと転じる一方、作家としてベンジャミン・フランクリンの評伝を出版。2004年、スティーブ・ジョブズから直々に評伝を依頼される。2011年に刊行された『スティーブ・ジョブズ1・2』は、世界的な大ベストセラーになる。現在、トゥレーン大学歴史学教授


レオナルド・ダ・ヴィンチ関連書籍


「レオナルド・ダ・ヴィンチ「(上・下)」ウォルター・アイザックソン
「レオナルド・ダ・ヴィンチという神話」片桐頼継
「ダ・ヴィンチ・コード(上・下)」ダン・ブラウン
「ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く―世界的ベストセラーの知的冒険ガイド」サイモン コックス


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