「電力と震災 東北「復興」電力物語 」町田 徹
2014/04/12公開 更新

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【私の評価】★★★★☆(80点)
要約と感想レビュー
東京電力の影に隠れて、地味な東北電力に光を当てた一冊です。東日本大震災では東北電力は、最も被害を受けた被災電力です。東京電力福島第一原子力発電所は津波により炉心溶融しましたが、同じ太平洋に面していた東北電力の女川原発は無事でした。
なぜ女川原子力発電所が14メートルの津波で炉心溶融しなかったのかといえば、3つの発電プラントに対し外部電源として変電所が別々の3系統の送電線があったこと。(福島第1は6つの発電プラントに対し変電所が2箇所の4系統)津波を想定して敷地高さを15メートルとしたこと。また、他にも取水口を深く掘り込み、津波の引き潮でも冷却水を維持する構造とする等、独自の津波対策を行っていたのです。
・女川原発は、海抜14.8mの高台にある。原子炉はもちろんタービン、事務棟などの基幹施設は、15mの基礎の上に建っている。(p53)
東北電力は、東日本大震災で太平洋側の発電所が被災したため、1年後の夏の電力需要ピークに間に合わせるため、1年間で緊急電源100万kWを設置しています。
さらに、被災地域を持つ電力として、電気料金値上げを限界まで回避。2年間電気料金を現状維持し、赤字により余剰金が底をついたところで電気料金の値上げを申請しているのです。そこで待っていたのは、東京電力並の懲罰的な査定でした。
・値上げを東電より丸二年も遅らせ、上げ幅を東電より小さくする努力をしたのにもかかわらず、専門家たちはそうした努力の存在を黙殺した。それどころか、国策救済を受けた東京電力に行った懲罰的な査定を前例として、東北電力を締め上げた。値上げの実施を二カ月も遅らせたうえ、値上げ幅も圧縮したのでる(p8)
東北電力は、バカがつくほど真面目だと思います。
津波対策を見てみれば、東京電力の福島第一の敷地高さが10m。東北電力女川原子力の敷地高さが15m。同じ総括原価方式で地域独占であっても、地元の供給エリアに設置した原子力発電所で事故を起こしてはならないという思いが、東北電力と東京電力の差になったのかもしれません。
別の例では、東日本大震災の影響で原子力が全機停止し、電力需給が厳しくなった時に、関西電力は電力不足を理由に大飯原子力発電所を政治力で再稼働させています。1000億円を投資して、100万kWの緊急電源を設置した東北電力と対称的です。
東北電力には電力不足を放置して、ギリギリになって「電気が足りませんので原子力を再稼働させてください」などという政治的な芸当はできなかったのです。同じ日本人でも地域で人間性が違うからなのか、それとも経営者の資質の違いなのか、私にはわかりません。
更には東京電力の原発に炉心溶融をされ、多くの発電所に被害があったうえに、原子力損害賠償支援機構法という東京電力が負担すべき賠償金を原子力を持つ電力会社が負担するという事後保険のような仕組みを作られ、毎年107億円を25年間、2675億円支払うことになっています。
東北電力は自分の供給エリアで事故を起こされたうえに、その賠償金まで25年間、毎年負担金107億円を肩代わりさせられているのです。事故を起こさないように努力した会社が、事後法で負担金を負わされるという理不尽さに驚きます。
クソ真面目な東北電力をテーマに書いた本は少ないので、興味深く読めました。町田さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・被災企業の東北電力は非常用ガスタービンを各地に設置したり、企業や他の電力会社からの融通電力の購入の段取りをつけて、なんとか需給ギャップを解消していた。・・大飯三、四号機の例外的な緊急再稼働が容認される一方で、被災企業として懸命の供給力確保に努めても、なお深刻な状況にあった東北電力の東通原発の運転再開は一顧だにされなかった(p283)
・女川原発はこのときまで食料の備蓄に不安を抱えていた。というのは、被災した3月11日の夜の段階で、近隣から避難してきた人々を含む1700人前後が原発内にいた。それに対し、備蓄は4500食分しかなく、全員に一日三食を配ると一日もたない計算だった。このため、避難してきた住民は一日二食、社員は一日一食に制限する方針だったのである。(p167)
・東北電力は、学識者を交えた社内委員会「海岸施設研究委員会」を設置して、明治三陸津波(1896年)、昭和三陸津波(1933年)の記録や、貞観津波(869年)、慶長津波(1611年)の文献調査に着手した。結果として、当時、想定されていた津波の高さは3m程度だったが、東北電力は、女川原発の敷地高さをほぼ五倍の14.8mに設定した(p252)
【私の評価】★★★★☆(80点)
目次
プロローグ DNAに刻まれた白洲と内ヶ崎の思想
第一章 被災
第二章 創業
第三章 復旧
第四章 試練
エピローグ 日本版NDAの提案
著者経歴
町田徹(まちだ てつ)・・・1960年大阪府生まれ。経済ジャーナリスト。神戸商科大学(現兵庫県立大学)商経学部卒業、日本経済新聞社入社。ワシントン特派員などを歴任。ペンシルバニア大学ウォートンスクールに社費留学。雑誌編集者を経て、2004年独立。月刊現代2006年2月号掲載「日興コーディアル証券『封印されたスキャンダル』」で、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞・大賞」を受賞
原子力規制委員会記者会見録
日時:令和元年11月27日(水)14:30~
場所:原子力規制委員会庁舎 記者会見室
対応:更田委員長 他
○記者 河北新報のミズノと申します。よろしくお願いします。女川2号機に戻るのですけれども、申請から今日まで、大体6年近い期間がかかりました。会合も176回ということで、大分長期にわたっているのですが、長期化した要因、委員長のお考えを教えてください。
○更田委員長 まず、期間全体がずっとフルスピードで走っていたわけではないと。御承知だろうとは思いますけれども、BWRでどれから、どの順番でという話のときに、東北電力は、東北電力に怒られるかもしれないけれども、余りガツガツしていなかったのですね。非常に奥ゆかしいというか、慎重というか、これは私は社風だと思いますけれども、急ぐという姿勢はないから、そこで柏崎刈羽6、7、東海第二という順番で進んできて、そして今、女川2号機に来たわけです。(p8)
原子力関係書籍
「電力と震災 東北「復興」電力物語 」町田 徹
「原発ホワイトアウト」若杉 冽
「原発と大津波 警告を葬った人々」添田 孝史
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