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「原発と大津波 警告を葬った人々」添田 孝史

2019/05/06公開 更新
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原発と大津波 警告を葬った人々 (岩波新書)


【私の評価】★★★★☆(81点)


要約と感想レビュー

 東日本大震災では、福島第一原発の唯一の外部電源供給元である新福島変電所と送電線が被害を受け、外部電源を喪失しました。安全基準では、外部電源は2回線以上の送電線となって適合していますが、変電所が一か所というのはどういうことなのでしょうか。


 さらに非常用ディーゼル発電機の冷却系統や直流電源も水没して、すべての電源を失い、炉心の冷却が不可能となったことで、炉心溶融を起こし、燃料棒の材料であるジルコニウムと水蒸気が高温で反応して水素が発生。炉心から噴き出した水素が建屋に充満し、結果して1号機と3号機の建屋が爆発してしまいました。


 その一方で、女川原子力発電所、東海第二原子力発電所は事前に津波対策を行っていたため、津波の被害を受けたものの最悪の事態は避けることができています。特に女川原子力発電所の外部電源は3回線5ルートで、津波を意識して敷地高さは福島第一の5メートル程度に対し女川は15メートルとなっています。


 これは東北電力副社長だった平井弥之助氏が東北電力を退いて電力中央研究所の技術研究所長の職にあったとき、「海岸施設研究委員会」に加わり、貞観津波を配慮せよと強く主張していたという。なぜなら海岸線から7キロ以上内陸にある平井氏の実家(宮城県岩沼市)の近くの神社にまで、過去の大津波が到達したという文書が残されていたからだという。


・東北電力が女川1号機の設置許可を申請したのは1970年、福島第一1号機の申請から4年後のことだ・・東北電力は土木工学や地球物理学など社外の専門家らを集めた「海外施設研究委員会」を設けて議論した。「明治三陸津波や昭和三陸津波よりも震源が南にある地震、例えば貞観や慶長等の地震による津波の波高はもっと大きくなることもあるだろう」といった検討の結果、敷地高さを14.8メートルにすることを決めた(p11)


 東京電力には、今回の福島第一原発の炉心溶融を回避するチャンスが何度かあったことがわかります。まず、同時期に建設された東北電力女川原発は過去の津波の歴史を踏まえ、敷地高さを15メートルとしていました。それに対し福島第一は、津波に対しては敷地高さ4メートルで十分とし、30メートルの台地を掘り下げて10メートルとしているのです。


 東電の敷地高さ4メートルの根拠は、小名浜港で設置許可申請の6年前に記録された+3.122メートルの津波をもとに、「潮位差を加えても防災面から敷地地盤高はO.P.+4.000メートルで充分である」(小林健三郎「福島原子力発電所の計画における一考察」『土木施行』1971年7月)と判断したものです。また、原子炉建屋を高さ10メートルとした根拠は、高さ30メートルの台地を掘り下げる費用、海水を汲み上げるポンプの動力費、地質の情況などを総合的に勘案して、最も経済的な高さとしています。そこに、東北電力のような、万が一の安全性を考慮する視点はありませんでした。福島第一原発が先行していたとはいえ、女川原発の設計を横目で見ながら東電の経営者は意図的にこうした判断をしていたのです。


 1997年6月の電事連総合部会では、通産省から「シミュレーション結果の二倍の津波高さが原発に到達したとき、原発がどんな被害を受けるか、その対策として何が考えられるかを提示するよう」指示があったことが報告されているという。電事連はこの指示をうけて、「津波に関するプラント概略影響評価」を2000年2月に総合部会に報告し、約半分の28基は、想定の倍の津波高さでも影響がない、逆に言えば半分は津波に脆弱であることがわかっていたのです。


 1998年には津波防災対策の手引きが見直され、東電社内での計算では福島第一原発で15メートルの津波が予想されたにもかかわらず、確率論などを理由に東電の経営陣は対策を打ちませんでした。さらに、2004年12月、インドネシアのスマトラ沖で発生したM9.1の巨大地震の大津波は、インド洋を隔てて千数百キロ離れたインド東岸南部にあるマドラス原発2号機(22万キロワット)の取水トンネルからポンプ室に入り、原子炉の冷却に必要なポンプを水没させて運転不能にし、緊急停止させているのです。


 2006年9月に耐震指針が改訂されたときも、既存原発の安全性を報告するよう原子力安全・保安院から指示が出されています。東電は福島第一原発では5号機を代表として選び、シミュレーションの結果、津波地震が福島第一原発に高さ15.7メートルの津波をもたらす可能性があるという中間報告書を2008年3月に提出しているのです。このときも東京電力は、津波高さの計算結果について土木学会で議論してもらうことで時間稼ぎをしています。対照的に東海第二原発(日本原電)は2009年に津波対策工事を開始し2011年3月の震災前に、一部対策工事を完了していたことで、最悪の事態を避けることができたのです。


・茨城県は独自の津波浸水予想を2007年10月に公表・・東海第二原発(日本原電)の地点では、予想される津波高さが5.72メートルとなり、原電が土木学会手法で想定していた4.86メートルを上回った・・原電が対策見直しを余儀なくされる。そこで津波に備えて側壁をかさ上げする工事を2009年7月に開始し、工事が終了したのは東北地方太平洋沖地震のわずか2日前だった(p184)


 発電所の設備はすべて、根拠を持って設計されています。つまり、信頼性とコストのバランスが検討されているのです。もし、福島第一原発向けの変電所が1箇所でなく3箇所だったら。送電線が2系統でなく3系統だったら。非常用電源を高い場所に設置していたら。追加の津波対策を打っていたら最悪の事態は避けることができたかもしれません。どこかの段階で、日本原子力発電の東海第二原発のようにコストを覚悟して何らかの対策が打たれていれば、歴史は変わっていたのに、残念になりません。添田さん、良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・2011年3月7日。東電と保安院は非公開の打ち合わせをしていた・・資料には、貞観地震と津波地震二種類、計三種類の想定水位が記載されている
  貞観津波 9.2メートル
  地震本部の津波地震
  1.1896年明治三陸沖タイプの場合 15.7メートル
  2.1677年房総沖タイプの場合   13.6メートル
 どれも福島第一原発の当時の想定6.1メートルを大きく上回っていた・・・津波地震の予測結果は、東電が計算して三年もたったその日、初めて保安院に報告されたらしい(p113)


・怖いのは、組織の中で定年退職までつつがなく過ごし、良い条件の天下り先や第二の就職先を確保するためなら、私も彼らと同じように振る舞った可能性が、少なくからずあることだ(p189)


・東北大学理学部に箕浦(みのうら)幸治教授・・箕浦教授は、地層から過去の大津波を調べる方法を1986年に世界で初めて報告した業績で知られている・・仙台平野で津波堆積物を地層の中からみつけた。ここ3000年の間に少なくとも三回の大津波が起きていることがわかり、それは内陸四キロまで入り込んでいた(p82)


▼引用は下記の書籍からです。
原発と大津波 警告を葬った人々 (岩波新書)
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添田 孝史
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【私の評価】★★★★☆(81点)


目次

序章 手さぐりの建設
第1章 利益相反―土木学会の退廃
第2章 連携失敗―地震本部と中央防災会議
第3章 不作為―東電動かず
第4章 保安院―規制権限を行使せず
第5章 能力の限界・見逃し・倫理欠如―不作為の脇役たち
終章 責任の在処



著者経歴

 添田孝史(そえだ たかし)・・・1964年生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。サイエンスライター。1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。1997年から原発と地震についての取材を続ける。2011年に退社、以降フリーランス。東電福島原発事故の国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当した。


福島原発事故関連書籍

「電力と震災 東北「復興」電力物語 」町田 徹
「原発ホワイトアウト」若杉 冽
「原発と大津波 警告を葬った人々」添田 孝史


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