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「山田方谷―河井継之助が学んだ藩政改革の師」童門冬二

2004/07/23公開 更新
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【私の評価】★★★☆☆(79点)


要約と感想レビュー

 子供を育てていく上で、親の資質というものが大切であることは、いまさらいうまでもないと思います。幕末に備中松山藩(岡山県高梁市)の財政赤字を8年で黒字にした山田方谷という人がいます。方谷の親は立派だったのでしょう。方谷の成長を期待する親の期待が記録として残っているのです。


 親のレベルが低ければ、いかに素質のある子供でも育ちません。自分の子供の不出来を嘆くようであったら子供を育てたのは自分なのですから、自分の不出来を嘆くべきでしょう。方谷の親は、報告を育てたのです。


・「他人や地域の役に立つ人間になりなさい」ということを徹底的に叩き込んでいる。(p51)


 江戸時代に組織の改革に対して、これだけの智恵を持った人がいたというのは奇跡に近いと思います。日本人として誇りに思いました。


この本で私が共感した名言

・愛しい児よ、かならずお父さんの志をなしとげるのだよ。しかし時の勢いに乗って一人で走りすぎるとつまずくものだよ。お願いです、生涯を立派に終えておくれ(p43)


・改革というのは絶対に急いではいけない。最低十五年なかかるだろう。なぜ十五年かかるといえば、十五年の間には古い者は死ぬ。そして新しい若者が成長する。(p214)


・あなたご自身の努力を、けっしてひけらかしたり、あるいはそれを例に部下に強要してはなりません(p122)


▼引用は下記の書籍からです。


【私の評価】★★★☆☆(79点)



目次

第1部 備中が生んだ希代の神童
第2部 「誠」を貫く改革の炎
第3部 分限を生き抜いた孤高の名臣


著者経歴

 童門冬二(どうもん ふゆじ)・・・1927年東京生まれ。1944年海軍土浦航空隊に入隊し特攻隊に志願するが翌年終戦。戦後、東京都庁に勤務。東京都立大学事務長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。1960年『暗い川が手を叩く』で第43回芥川賞候補となる。1979年美濃部亮吉東京都知事の退任とともに都庁を去り、50歳を過ぎて作家活動に専念する。ベストセラー『小説 上杉鷹山』など、歴史上の人物に自らの経験を重ね合わせ組織運営のあり方を叙述する小説を執筆。1999年に勲三等瑞宝章受章。


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