「二宮翁夜話」村松 敬司 (編集), 二宮 尊徳, 福住 正兄
2003/10/03公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(89点)
要約と感想レビュー
よく小学校で見かけた薪を背負った二宮金次郎の石像ですが、二宮金次郎はただものではなかったことがこの本で分かりました。この本は「二宮翁夜話」を現代口語に訳したものですが、 二宮金次郎は、松下幸之助、斎藤一人さんとならぶような哲人、経営者なのです。
以前、福村出版の「二宮翁夜話」を読みましたが、同じ内容なのに共感したところが違っているのが不思議です。やはり、現代の言葉に直したほうが心に伝わるようです。値段が高めなので、中古、図書館などをご利用ください。
名言の解説
世の中のことは何事でも至誠と実行によって成就するもので、才智や口先きで成功するものではないのである
二宮 尊徳は単なる知識ではなく実際に使える知恵を尊重していました。いくら名言を集めても成果が出なければ意味がない。自分の行動に反映し、現場で成果を出さなければ、意味がないということです。
学校にある薪を担いだ人のイメージしかなかった二宮尊徳ですが、非常に実務に秀でた、「人の道」を極めた人だったのです。農村の復興のために単身赴任をし、事前に飢饉を予測し対策を講じるなど、大きな功績を残しています。
今後も、二宮尊徳の本を読んで、もっと深く研究していきます。
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この本で私が共感した名言
・人間がこの世に生を受けた以上、死ぬのはきまりきったことなんだ・・だから人と生まれたからには必ず死ぬものと覚悟し、一日生きれば一日の儲け、一年生きれば一年の得なんだな。
・世の人は、貧富だとか、苦楽だとか言ってさわぐけれど、世間は大海原のようなものだから是も非もないのさ。ただそれを泳ぐ術が上手か下手かの違いだけだ。
・貧富の相違は、僅かの心がけのちがいから来る。貧者は昨日のために今日つとめ、去年のために今年働く。明日のために今日、来年のために今年働く心がけの人は富み安楽自在である。
・勤倹貯蓄して田畑を買い求め財産を増やすところまでは、譲道と同じなんだが、そこで天命というものが存在することをよく知り、道に志して、譲道を実行し、土地を改良し、開拓したりして国民を助けてこそ、ここではじめて「譲道を行う」ことができるんだ。
・よいたねを蒔けばよい結果が生じ、悪いたねを蒔けば悪い結果が生ずる。しかしその結果そのものが長い年月の後でないと現れない場合があるので、多くの人はおそれつつしまない。
・論語に、自分より劣っている者を友とするなかれとあるが、誤解してはいけない。誰にも長所短所があるから、その長所を学び短所を友とするな、という意である。
・善悪は人間の考えからできたもんで、人道上のものなんだ。だから人間がいなければ善も悪もなかったんだな。
・数というものは、ごまかしがきかないもんだから、この数理によって、世の中の道理を悟るようにするがよい。これが悟道の近なんだよ。
・村里の衰えたのを復興するには、財産をなげうたなければ人々はついて来ないもんだ。
・とにかく、人間社会に役立たない本は読みなさんなよ。
・道徳を忘れた経済は罪悪である。しかし経済を忘れた道徳は寝言である
【私の評価】★★★★☆(89点)
目次
天の巻
1.天道と人道
2.ものごとの輪廻のきまり
3.陰と陽、善と悪
4.心がまえ
5.理屈より実行地の巻商売のこつ
地の巻
1.商道の本意
2.近い欲、遠い欲
3.計画的に、確実に
4.臨機応変
5.まごころの力
6.運について人の巻永く栄える法
人の巻
1.人の情と人間関係
2.倹と分度
3.推譲ということ
4.永安の道
5.経済道徳の融合
夜話原本あとがき
福住正兄解説
1.二宮尊徳の生涯
2.二宮尊徳の思想
3.二宮尊徳の影響を受けた経営者たち
二宮尊徳略年譜
著者経歴
二宮尊徳(にのみや そんとく)・・・本名、二宮金治郎。1787年生まれ。苦労の末、若くして親の失った家産を買い戻し富農家となる。1818年小田原藩家老の服部家の再興を引き受ける。1822年小田原藩の分家、宇津家再興のため、名主格として下野国桜町へ赴任。以降、6百余の藩や郡村を再興、再建の神様として名声が広まる。1842年幕府の御普請役格。1844年、幕府より日光ご神領地の再興調査を命ぜられる。1856年御普請役、同年に70歳で逝去。詳しくは本書の解説編に。筆記者福住正兄について1824年相模国金目村生まれ。兄勇助に続き、21歳の時に二宮門下に入る。1850年、箱根湯本の福住家を相続するまで、尊徳のもとで修行、直接、二宮翁の薫陶をうける。稼業の旅館経営のかたわら湯本村名主となり、14カ村の取締を兼ねた。報徳思想の普及につとめ、著書「二宮翁夜話」のほかに「富国捷径」「報徳学内記」など多数を残す。1892年(明治25年)逝去。
村松敬司 (むらまつ けいじ)・・・大日本報徳会専務理事。1915年12月、静岡県掛川市に生まれる。38年慶応義塾大学経済学部卒業後、民間企業に就職。戦災により掛川に帰郷し農業に従事。掛川農業協同組合理事に就任。51年から県立高校教諭。77年から86年まで浜松短期大学講師。1949年に大日本報徳杜の参事に当選して以来、報徳杜の役職を歴任。報徳関連の団体である一円融合会の理事及び福運社評議員も兼務。
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