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国民性がわかる「武器が語る日本史」兵頭二十八

2021/02/20公開 更新
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【私の評価】★★★☆☆(71点)


要約と感想レビュー

 兵器を通じて日本の歴史を考えるという真面目な一冊です。面白いのは戦争とは現実であり、強い武器や作戦があったほうが勝つということです。太平洋戦争で日本が負けたのは、負けるだけの理由があったということなのでしょう。


 著者が例としてあげているのは、棒の先に爆薬を結びつけただけの「トリモチ竿」式の対戦車爆薬です。これらの多くは歩兵が米軍の戦車に肉薄して爆薬を取り付けるので、「攻撃成功=戦死」を約束するものであり、特攻攻撃と同じようにやぶれかぶれな発想を実施部隊に押し付けるものだったのです。客観的に見て、合理的な思考がないのです。


 興味深かったのは、次期戦車(97式中戦車)の開発にあたってコンセプトを策定した「戦車研究委員会」がいくつも有益な提案を報告書として残しているのに、まったく反映されていないということです。現代の会社でもいくら提案してもまったく変わらない点では似ているな、と思ってしまいました。


・(戦車研究)委員会としてこれらの意見は、すべて参謀本部か技術本部で握り潰したらしくて・・・重要な兵器について、とても大事なことに気づく才がある中堅エリートが1人か2人出てきても、組織にその改革案を組み上げる余地は、無かったのだ(p232)


 著者が理解できないのは、軽量で効果が高く、ジャンルグで多くの戦績を出していた「81ミリ迫撃砲」を、日本陸軍が支援重火器の主軸にしていなかったことです。自動火器を配置して待ち構えている敵の防衛陣地を、歩兵が突撃攻撃して勝てると思っている点で、現場とずれているのです。事前に敵の陣地を発見し、遠距離から無力化する手段を講じない点で、参謀失格でしょう。


 また、面白い話としては、昭和20年に米軍を迎え撃った沖縄本島に配備された第27連隊の中戦車と軽戦車の合計は、あの広い沖縄にたったの30両だったという。数千両も製造させた戦車は太平洋に分散して配置され、ないに等しかったのです。


 日本社会は平均ではレベルが高いのですが、必ずしも最適化できない場合もあると感じざるをえませんでした。兵頭さん、良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・ロシア兵があたりまえのように反覆してくる着剣突撃戦術の前に、日本兵はしばしば不覚をとった。その後は一転、こんどは反省の薬が効き過ぎて、現実無視の白兵信奉を生み、戦間期の小銃「短小」化の不徹底にも、つながったように思われる(p198)


・ドイツでは「フラックタワー」という鉄筋コンクリート製で防爆構造の巨塔を大都市中心部に幾つも建てて、その屋上から88ミリや12センチ級の高射砲を発射したので、いかほど激しく連射しようが外界の住民が迷惑することはなかった(p229)


・わが国では、約10アールの原野を開墾して水田にできれば、土地支配者は自分の領民(税収源)を1人増やすことができた。かたや西欧では、約50アールの原始森林を伐採・開墾して畑地にしないと、土地の人口を1人増やすことができなかった。だがその代わりに、領内に馬を増やすことは日本よりもずっと容易だったはずだ(p87)


・古代の蝦夷の弓は、狩猟道具の丸木の短弓(横弓)から発達したもので、複合素材弓ではなかったから、それが大型化した後も、大和朝廷軍の丸木の長弓を、初速でも存速でも凌がなかったと考えられる。鏃にはトリカブト毒が塗られている場合があったものの、鉄の鏃をふんだんに製造・消費することもできず、その貫通力は大和朝廷軍の矢に劣った(p50)


・ヒグマにトリカブトが効くまでには3分くらいかかったそうだ。もしも人間が毒矢に当てられてしまったら、マキリ(小刀)でじぶんの肉をえぐりとれば、その人は助かったという(p124)


▼引用は、この本からです


【私の評価】★★★☆☆(71点)


目次

第1章 日本軍はなぜ「投げ槍」を使わなかったのか
第2章 朝鮮半島から離れたことで変容した日本の武器性能
第3章 鉾と楯から見た日本の武器事情
第4章 日本の騎兵はどのように戦ったのか
第5章 日本の弓はいったいどれくらいの威力があったのか
第6章 楯を軽視した特殊事情
第7章 テレビ時代劇とはまったく違う日本の合戦
第8章 なぜ大砲をうまく使いこなせなかったのか
第9章 日本人はなぜ火縄銃に銃剣をつけなかったか
第10章 日本陸軍はなぜ《性能が劣った戦車》にこだわり続けたのか



著者経歴

 兵頭 二十八(ひょうどう にそはち )・・・1960年生まれ。軍学者。1982年、 陸上自衛隊東部方面隊に入隊。北部方面隊第2師団第2戦車連隊本部管理中隊に配属。1984年、1任期満了、陸士長で除隊。神奈川大学外国語学部英語英文科に入学。1988年、 同大学卒業後、東京工業大学大学院理工学研究科社会工学専攻博士前期課程に入学。1990年、同大学院修了、修士(工学)。その後、「戦車マガジン」勤務などを経て軍学者。


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