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「反省記 ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの地獄で学んだこと」西和彦

2021/02/19公開 更新
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「反省記 ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの地獄で学んだこと」西和彦


【私の評価】★★★★★(93点)


要約と感想レビュー

 私は1989年に会社就職したので、パソコンの急速な発展で仕事が楽になった口ですが、そのパソコンを開発したのが西さんです。西さんはマイクロソフトが8ビットパソコン向けにBASICを売っている頃にビル・ゲイツと出会い、マイクロソフトに役員として入社し、16ビット用MS-DOS開発を主張したという。実は今のマイクロソフトは西さんがいなければ、MS-DOSで業界標準を取れず小さいソフトウエア会社で終わってたかもしれないのです。


 その後、西さんは日本でハードウエア開発に力を入れ、ソフトウエアに注力するマイクロソフトと対立し、マイクロソフトを離れることになります。西さんも迷ったようですが、歴史に「もし」があるとすれば、西さんがマイクロソフトの社長になる可能性さえあったのです。天才がゆえに、自分の主張を引っ込めるということができなかったのも、仕方がない面もあったのでしょう。


・「やるべきだ!絶対にやるべきだ!」・・・シアトル・コンピュータ・プロダクツという会社が・・・16ビット用のOSを開発していることを知っていたのだ。だから、僕は、それを買えばいいと言った・・・これに改良を加えることによって、「MS-DOS(マイクロソフト・ディスク・オペレーション・システム)」が誕生する(p164)


 恐るべきことは西さんが、NECのパソコンPC98シリーズ、統一規格MSXパソコンに関わっていたこと。そして、マウスを作り、パソコン通信を立ち上げ、ウィンドウズを作ろうとしたことです。月刊アスキー、週刊アスキー、ゲームソフトも作るし、ドリームキャストにDVDを載せようと画策もした。西さんにはパソコンの未来が見えていたのでしょう。


 私も月刊アスキーはハードルが高かったですが、週刊アスキーは読んでいました。西さんが、時代の流れの中心にいたことは間違いありません。


・パソコンは、ネットワークされることによって、はじめて「パーソナル・コンピュータ」になることができる・・・この学びが、後のパソコン通信「アスキーネット」へとつながっていった(p208)


 しかし、実業家としての西さんは思いついた事業に積極投資し、売上は上がるものの利益率は3%くらいと低迷。財務的にも景気の良いときはなんとか回っていましたが、景気が低迷すると資金繰りに苦しむこととなります。


 人の扱いもゆるゆるの優しい時代、ギチギチの厳しいブラック時代と両極端にぶれており、精神的にも不安定でうまくいかなかった。最終的にマイクロソフトを去り、アスキーも自分の手を離れることになっています。西さんは起業家としては一流でしたが、経営者としては一流ではなかったのです。


・「厳しい優しさ」と「優しい厳しさ」。大事なのはこの二つなのだ・・・どっちらも、僕には足りなかった(p336)


 現在は、大学で若い人の教育とIoT技術の研究をされているようです。西さんには新技術の研究ができて、ベンチャー起業できる大学がぴったりではないかと思いました。仮に西さんの側にホンダの藤沢武夫さんのような営業・財務をカバーする人がいれば、日本の情報技術産業は変わっていたのではないかと感じさせてくれる一冊でした。


 西さんの今後の活躍を祈念したいものです。西さん、良い本をありがとうございました。



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この本で私が共感した名言

・ビル・ゲイツは、コンピュータという「機械」をつくることには興味がなく、あくまでもソフトウエアに情熱を燃やしていたが、僕は違った。僕は、コンピュータという「機械」を作りたかったのだ(p46)


・自分の人生を生きるために大切なのは、興味のある場所に行ってみることであるはずだ。その場所には、同好の士が集まっている(p66)


・マイクロソフトにいたある人物が僕を追い落とそうと、あることないことをビルの耳に吹き込んで、ビルが僕やアスキーに不信感をもつように仕向けていたということを教えてくれた人がいた。言われてみれば、思い当たる節はいくつもあった(p253)


・ある新聞記者には、こんなことまで言われた。・・・俺たちの手でアスキーの葬式を出してやる」って。「私も一緒に死んだ方がいいんでしょうか?」って訊いたら、「死のうと死ぬまいと自由だけど、死ぬんだったら死ぬ前に遺言をしっかり話してくれなきゃ困る」とか言ってた(p286)


・インテルは怖い会社で、僕たちが半導体ビジネスに参入すると、徹底的な営業妨害をしてきた。アスキーの半導体を買うんだったら、もうオタクにはインテルのCPUは売らない、とメーカーに迫るわけだ・・・僕がインテルだったら、迷わず同じことをやる(p352)


・「お前、世の中は悪いやつばっかりや。お前は人がいいから、すぐに信じて突進する。・・・ちゃんと後ろも見ないとダメだぞ。そうしないと悪いやつが後ろからやってきて、やられるぞ」大川功(p415)


・一番つらかったのは・・・CSKから占領軍がやってきて、僕たちのやっていたプロジェクトを次々と潰していったことである。東大法学部卒の人物が「自分はコンピュータのことも何でも知っている」と言いながら、全部潰していった(p423)


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▼引用は、この本からです
「反省記 ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの地獄で学んだこと」西和彦


【私の評価】★★★★★(93点)


目次

序章 遭 遇
第1章 萌 芽
第2章 武 器
第3章 船 出
第4章 ゲリラ
第5章 進 撃
第6章 伝 説
第7章 開 拓
第8章 対 決
第9章 未 完
第10章 訣 別
第11章 瓦 解
第12章 暴 落
第13章 ブラック
第14章 造 反
第15章 屈 辱
第16章 陥 落
第17章 撤 退
第18章 負け犬
終章 再 生



著者経歴

 西和彦(にし かすひこ)・・・株式会社アスキー創業者。東京大学大学院工学系研究科IoTメディアラボラトリーディレクター。1956年神戸市生まれ。早稲田大学理工学部中退。在学中の1977年にアスキー出版を設立。草創期のマイクロソフトに参画し、ボードメンバー兼技術担当副社長。しかし、ビル・ゲイツ氏と対立し、マイクロソフトを退社。アスキー資料室専任「窓際」副社長となる。1987年、アスキー社長に就任。当時、史上最年少でアスキーを上場させる。しかし、資金難、人間関係の問題に直面。CSK創業者大川功氏の知遇を得、CSK・セガの出資を仰ぎ、アスキーはCSKの関連会社となる。その後、アスキー社長を退任し、CSK・セガの会長・社長秘書役を務める。2002年、大川氏死去後、米国マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員教授や国連大学高等研究所副所長、尚美学園大学芸術情報学部教授等を務め、現在、須磨学園学園長、東京大学大学院工学系研究科IoTメディアラボラトリーディレクターを務める。工学院大学大学院情報学専攻博士(情報学)


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