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「沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか」

(2019年6月 4日)|本のソムリエ メルマガ登録
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沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか 新潮文庫


【私の評価】★★★☆☆(75点)


内容と感想

■本書のタイトル
 「瀬島 龍三とは何だったのか」というのは
 私も同じ思いです。


 瀬島 龍三氏は、太平洋戦争において
 日本陸軍参謀本部作戦課で事実上の作戦主任。
 11年のシベリア抑留後、
 伊藤忠商事で会長まで務めています。


 さらに歴代総理大臣の指南役など
 政界にも影響力を持っていました。
 瀬島 龍三とは何だったのでしょうか。


・「歴代首相の指南役」とまで言われた瀬島の政界への影響力・・河野派には中曽根さんや園田さんら四人の幹部がいたんだが、その中で瀬島さんと最も親しかったのが園田さんだった。『瀬島さんは(旧陸軍の)作戦要領令にのっとって政界分析をしてくれる。だからわしは耳を傾けるんだ』と園田さんが言ったことがある(p285)


■シベリアから帰国した瀬島氏には、
 政治家含めて声がかかりますが、
 最終的に伊藤忠商事に入社します。


 伊藤忠商事で瀬島氏は、
 インドネシアへの戦後賠償ビジネス、
 韓国への賠償プロジェクトに
 関わっています。


 こうした国家賠償案件では裏金の動きが
 あるようですが、本書の記載が
 正しいのかどうかはよくわかりませんし、
 事件として表に出てはいません。


 瀬島氏は、政治家、宮内庁含めた官僚に
 顔が利くことから、伊藤忠商事内でも
 出世していったようです。


・(対韓賠償の)請求権プロジェクトの受注競争をしている中で、伊藤忠がトップを走ろうと思えばできたんです。でも『二番目でいい。一番にはなりたくない』・・特にKCIA部長の金炯旭は裏金の要求が非常に荒っぽかったから、請求権の仕事で一番を走ると危ない、それより民間借款の方に力を入れようという考えでした(p41)


■太平洋戦争中や、シベリア抑留の部分は
 瀬島氏に関係ない記述もあり、
 何を言いたいのか読み取れないところも
 ありました。


 もう少し情報収集が必要なようです。
 瀬島龍三氏の回想録「幾山河―」も
 読んでみます。


 共同通信さん、
 良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・シベリア時代の瀬島さんは若く、黒々とした髪だった。僕ら兵隊はシラミがわかないよう坊主頭にされていたので、七三に分けた髪は非常に目立っていた・・・僕らは朝、真っ暗なうちから森林の伐採や凍った土地の穴掘りの使役に出された。だけど彼は、ただ外に立って敬礼して見送るだけだった。兵隊とは別の建物のきれいな部屋に住んで、いつもラーゲリ(収容所)の中をぶらぶらしていた(p296)


・収容所は全く別世界だった。至る所に赤旗や『天皇制打倒』と書かれたプラカードが掲げられ、食堂にはスターリンの肖像画が飾ってあった・・・捕虜向けに週三回約15万部発行された「日本新聞」だ・・紙面は、社会主義国の躍進を伝える記事で埋まった。捕虜たちが求める日本のニュースでは、貧困、労働争議などの社会不安や戦犯追求の動きが強調された。編集長イワン・コワレンコはその編集作業に日本人捕虜を登用した(p208)


・伊藤忠商事東京支社で航空機部次長の瀬島龍三が部下の小林勇一に声を掛けた。「インドネシアの商売をやるには日東貿易の久保という社長を通せばいいらしいよ。」・・・コミッションは通常13%だった。久保の説明では、10%をスカルノに渡し、残り3%が東日貿易の取り分になるという・・伊藤忠商事、東日貿易、スカルノ政権がつくりだした利権のトライアングル(p19)


・瀬島氏は(旧日本陸軍士官学校で後輩に当たる)朴大統領と直接親交を深めていたので、朴大統領の崇拝者で韓国陸士出身の全斗煥や盧泰愚からも(軍人の先輩として)尊敬された(p57)


・「あんたには、日本が焦土と化しても戦争をやる覚悟があるのか」1941年8月、東京・三宅坂の参謀本部作戦室。井本熊男が先輩参謀の辻政信に詰め寄った・・「米国と戦えば本土が米国の空襲にさらされる。そうなれば目も当てられないぞ」東南アジア進攻の危険を訴える井本に強硬な南進論者の辻が憤然と言い放った。「戦争はやってみなきゃ分からんじゃないか」(p91)


・慎重な岡田さんに代わって(40年10月)課長になった土居明夫さんは竹を割ったような性格で、南方積極論を強調した・・・41年6月、ドイツがソ連に進攻した・・土居が更迭され、作戦班長の服部卓四郎が課長に昇格した。服部はノモンハン事件でコンビを組んだ辻政信を呼び寄せ、南進への傾斜を深めていく。「服部さんは慎重な人だったが、辻さんの起用には当時、課内で疑問がありました(p101)


・石原(莞爾)は不拡大方針を取るが、作戦課長になっていた部下の武藤は反日運動が高まりを見せる中国に『一撃を加えるべし』と拡大派の急先鋒になった。陸軍省や参謀本部は、武藤たちの拡大論が多数を占め、石原は中央から追われるんです(p105)


・参謀本部にしてみれば、自分が上奏して陛下の裁可をもらったガ島の奪回作戦だからね。後に引けない苦しみがあった。陛下の方も下から言ってこない限り、自分から言えない。おかしなことだが、当時はだれも撤退を言い出せない仕組みになっていた(p120)


・「集団主義で勤勉な反面、権力に弱い。それが日本人の民族的特性だ。何か命令されても言い争うことがまずない。私は日本人から『はい、そうですか』の返事以外聞いたことがない。そんな特性は収容所の管理や捕虜の政治教育に大変役立ったよ」とコワレンコが言う(p221)


・「自分はソ連のスパイでした・・・34歳の元関東軍情報参謀志位正二が、そう言って警視庁に出頭してきたのは1954年2月5日・・・ソ連はシベリアなどに抑留した日本人の中から利用価値のある者を選び、エージェントに仕立てて次々と日本に送り出していた。軍人、外交官、新聞記者・・(p230)


・児玉は戦時中、中国の上海で海軍物資調達の児玉機関をつくり、アヘンなどを密売して巨利を得た。戦後、中国から持ち帰った資産を自由党(自民党の前身)設立資金に提供・・政財界や右翼、暴力団の黒幕として君臨していた(p34)


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目次

第1章 戦後賠償のからくり
第2章 参謀本部作戦課
第3章 天皇の軍隊
第4章 スターリンの虜囚たち
第5章 よみがえる参謀たち



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