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「世界史のなかの満州帝国」宮脇 淳子

2012/05/07公開 更新
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世界史のなかの満洲帝国 (PHP新書)


【私の評価】★★★☆☆(75点)


要約と感想レビュー

■日本の旧支配地域といえば、
 満州、台湾、そして
 グアム、サイパンなど南の島々。


 日本の旧支配地域はタブーになっているのか、
 テレビでも書籍でも書かれることが少ないので、
 今回は満州について学んでみました。


・1932年に満州国が建設されたとき、日本人は・・約24万人いた・・敗戦時の日本人が155万人であったことを考えると、日本人はこのあと大量に移住したことになる(p207)


■満州を知るためには、
 中国の歴史を知る必要があります。


 中国の歴史を見ると、
 南の人、北の人、
 そしてモンゴル、
 満州の清朝と、
 支配者が移り変わります。


 こうして見ると、 
 なにをもって中国人とするのか
 中国とは定義の難しい国だとわかります。


・「満州人」すなわち「旗人」・・・チャイナ・ドレスのことを、現代中国語では「旗袍(チーパオ)」という。これは、支配階級の満州人の衣服であったものを、1912年に清朝がほろびたあと、一般の中国人がまねをして取り入れたデザインだから、こういうのである(p92)


■歴史に仮定はありませんが、
 「もし戦争で負けていなければ・・・」
 満州国という国が残っていたのでしょう。


 固い本でしたが、
 こうした本を読んでみるのも勉強ですね。


 宮脇さん、良い本を
 ありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・「支那(シナ)」の語源は、「秦」という王朝名であって、始皇帝が、文字どおりはじめての皇帝である。だから、中国の歴史は厳密にいえば二千二百年あまりで、「中国五千年」は政治的な主張にすぎない。(p48)


・1260年にフビライはモンゴル帝国のハーンに即位し、1271年に「大元」という漢式の国号を採用した・・・中国ではチンギス・ハーンを「元の太祖」と呼ぶ。しかし、チンギス・ハーンの時代に元はないし、かれは中国人ではない(p74)


・満州国から満州帝国時代には、少なくとも国内で大規模な戦争はなかった。満州の地が戦乱にまきこまれるのは、日本の敗戦のあと、さらに国共内戦が行われた四年間で、このときの死者数のほうがはるかに多かったことを知っておきたい。(p230)


終戦当時、満州在住の日本人人口は約155万人と推定され、そのうち死亡者は17万6000人にのぼる。(p240)


・毛沢東はかつて、「仮にすべての根拠地を失っても、東北さえあれば社会主義革命を成功させることができる」と語った。実際、戦後の満州は中国の重工業生産の九割を占めた(p247)


▼引用は下記の書籍からです。
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【私の評価】★★★☆☆(75点)



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