「悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉」ロバート・コンクエスト

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悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉

【私の評価】★★★☆☆(80点)


■ハーバード大学ウクライナ研究所で
 まとめられた1930年頃の
 ウクライナで行われた農業の集団化と
 その結果についてまとめた一冊です。
 

 当時のソビエト連邦では
 権力を掌握したスターリンが
 農業集団化を強引に進めました。


 その方法は、豊かな農民を銃殺し、
 その家族をシベリアに強制移住させる
 というものでした。


 まじめな農民から順番に
 銃殺または収容所に送られ、
 ウクライナから消えていったのです。


・富農撲滅運動を指揮する執行部が、
 1930年1月30日になってやっとできた・・
 富農を三つのカテゴリーに分け・・
 第一カテゴリー(銃殺または禁固)の数字は・・
 報告書では、計画された63,000人ではなく、
 約100,000人という数字になっていた・・
 第二カテゴリーの富豪は、第一カテゴリーの
 家族をふくみ、ロシアの北部、シベリア、
 ウラル地方、カザフスタン、あるいは
 彼ら自身の土地のどこか遠方に強制移住
 させるべきものであり、せいぜい150,000世帯が
 その対象であった・・第二カテゴリーの
 財産没収は斬新的になすべきであり、
 最終的におこなう彼らの強制移住と
 うまく合わせるように命じている(p209)


■そもそも革命によってブルジョワを抹殺し、
 労働者階級が共同社会を作るのが
 共産主義思想です。


 その共産主義国家の指導者は、
 ブルジョワを抹殺することが
 仕事なのです。


 つまり、共産主義では
 常にブルジョワや富農といった
 人民の敵が作られます。


 そこで人民の敵を粛清するという名目で
 敵対勢力を一掃し、権力を掌握する
 というのがお決まりのパターン。


 お金という指標のない共産主義では
 政治闘争がすべてであり、その余波で
 多くの人民が死んでいったのです。


・合同国家政治保安部は、家畜の死亡率が高く、
 動物の死の処理に問題があるとして獣医たちを
 粛清した。そして、これが慣例になった。
 1933~37年、ヴィーンニツァ州だけで100人の
 獣医が銃殺になったという(p404)


■敵を作り、敵を粛清して権力を握る。


 共産主義国家で確立された
 権力闘争で勝つ秘訣は、
 まだ生きているるように感じました。


 そして、日本を敵として、
 国家として教育・情報操作している国があることは
 本当に恐ろしいことだと思いました。


 そしてその国が
 共産主義国家であれば
 なおさらです。


 コンクエストさん
 良い本をありがとうございました。


───────────────


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・共産主義革命は、あらゆる階級と民族を潰し、
 そしてできた一つの階級によって成就される
 (マルクスとエンゲルス)(p25)


・合同国家政治保安部の報告書は、1931年、
 「その土地で最もよく働く最良の労働者が
 連行されてゆく」というコルホーズの
 簿記係のことばを引用している
 (そして、場違いの、怠け者が残るのだ)(p231)


・刑務所では別の農民が彼に忠告した。
 自白を求められたら、
 みんながしたようにサインしろと。・・
 「だが、自白すれば銃殺になるだろう」
 「そうだ、しかし、お前は少なくとも
 拷問を受けずにすむ」(p267)


・政府によって自分の両親が殺された子供たちが、
 政府の教育をうけ、冷酷な人間になり、
 政府の最もいやらしい手先になった・・
 ポケットに穀物をつめこんでいる父親を見つけ、
 彼を逮捕させた(p489)


・歴史から主として学んだことは、
 共産主義思想が、男と女と子供たちを
 前例のないほど大量に殺戮するための
 動機を与えたということであろう(p573)


・ウクライナ人民委員会の議長チュバーリは、
 「せめて飢えた子供らだけでも、食物を
 やってほしいとスターリンに訴えた」が、
 その返事は「この問題にかんしては
 言うべきことなし」(つまり、ノー・コメント)・・
 もし救済のために穀物を送れば、
 飢饉を認めることになるし、また
 富農が穀物を秘蔵しているという考えを
 すてることになる。さらに、
 子供に食物を与えれば、
 大人を飢えさせることになり、
 行政的な問題になる・・(p541)


・1926年、カザフ人の人口の四分の一しか
 農業に従事しておらず、38.5%が家畜のみに依存し、
 33.2%が家畜と農業の両方に依存していた・・
 政府は、数世紀にわたる古い伝統をもつ遊牧生活を、
 いまやほんの数年間で定住の(そして集団化した)
 農業社会に転換させるという仕事を始めたのである・・
 1930年における全面的な富農撲滅運動では、55,000~
 60,000世帯が大地主のレッテルをはられ、
 40,000世帯が「非富農化」され、
 他の家族は財産を残したまま、
 強制移住になった(p325)


・ロシア国家の支配とともに、ロシア式の封建制度が
 ウクライナに広がった。広大な領地が、王室の寵臣
 たちに分与された。1765年から1796年までに
 出された勅令は、ウクライナ農民の自由を奪い、
 彼らをロシア農民の水準までに引き下げた(p51)


・1863年の法令は、ウクライナ語なるものが存在せず、
 それがロシア語の単なる方言にすぎないことを宣言し、
 「純文学」以外、ウクライナ語を用いた作品を禁止し、
 とくに「宗教と教育にかんする書物、および国民
 向けの初等読本をめざした書物」が発禁になった。
 そして、多数のウクライナ人が北ロシアに
 強制移住させられた。ウクライナ語の学校は閉校、
 新聞も発禁になった(p53)


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■目次

第一部 主役たち ─党、農民、国家
 第一章 農民と党
 第二章 ウクライナ国家とレーニン主義
 第三章 革命、農民戦争、飢饉 1917年~1921年
 第四章 閉塞期 1921年~1927年
第二部 農民蹂躙
 第五章 激突の年 1928年~1929年
 第六章 「富農」の運命
 第七章  急激な集団化とその失敗。1930年1月~3月
 第八章 自由農民の最後 1930年~1932年
 第九章 中央アジアとカザフ人の悲劇
 第十章 教会と民衆
第三部 飢饉テロ
 第十一章 ウクライナへの猛攻 1930年~1932年
 第十二章  飢饉の猛威
 第十三章  荒廃したウクライナ国土
 第十四章 クゥバーニ川、ドン川、ヴォルガ川
 第十五章 子供たち
 第十六章 死亡者数
 第十七章 西ヨーロッパの記録
 第十八章 責任問題
エピローグ ─その後の推移



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