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「福翁自伝」福沢 諭吉

2017/03/25公開 更新
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福翁自伝 (講談社学術文庫)


【私の評価】★★☆☆☆(68点)


要約と感想レビュー

福沢 諭吉が自分の人生を語った一冊です。福沢 諭吉は洋楽を学ぶために長崎に出て、大阪から江戸、そして欧米へ旅に出ます。その後は幕府で翻訳の仕事をして、国家の交渉の内幕を見ることになりました。


 明治時代においては、学問の必要を説き、慶應義塾を創設しています。文明開化による富国強兵と精神の独立を目指しました。中国、当時の清朝政府については文明開化の富国強兵と精神の独立は無理であり、清朝を倒すことを主張しています。歴史はその方向に進んだということです。

・支那の今日の有様を見るに、何としても満清政府をあのままに存しておいて、支那人を文明開化に導くなんということは、コリャ真実無益な話だ。何はさておき老大政府を根絶やしにしてしまって、ソレから組み立てたらば人心ここに一変することもあろう(p285)


 福沢 諭吉さんの考え方は、男女平等、西欧風の教育、文明開化、富国強兵によって植民地になるのではなく植民地を持つくらいの勢いであったことがわかります。


 福沢 諭吉さん、良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・いまワシントンの子孫はどうなっているかと尋ねたところが、その人のいうに、ワシントンの子孫には女があるはずだが、今どうしているか知らないが、何でも誰かの内室になっている容子だといかにも冷淡な答で、何とも思っておらぬ。これは不思議だ(p128)


・刀屋を呼んで、ことごとく売り払ってしまった・・ただ用心に用心して夜分は決して外に出ず、およそ文久年間から明治五、六年まで十三、四年の間というものは、夜分外出したことがない。その間の仕事は何だというと、ただ著書翻訳にのみ屈託して歳月を送っていました(p175)


・私がふと思いついて、これは国会論を論じたら天下に応ずる者もあろう、すいぶん面白かろうと思って、ソレカラその論絶を起草して・・報知新聞の主筆藤田茂吉、箕浦勝人にその草稿を見せて・・報知新聞の社説に載せました・・当時世の中にマダ国会論の勢力のない時ですから、この社説が果たして人気に投ずるやら・・とんと見込みがつかぬ(p330)


・三田の屋敷は福沢諭吉の拝借地になって、地租もなければ借地料もなしあたかも私有地のようではあるが、なにぶんにも拝借といえばいつ立ち退きを命じられるかもしれず・・明治四年の頃・・政府は市中の拝借地をその借地人または縁故ある者に払い下げるとの風聞が聞こえる・・その後地所代価収納の本証書も下りて、いよいよ私の私有地となり・・(p231)


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【私の評価】★★☆☆☆(68点)


目次

幼少の時
長崎遊学
大阪修業
緒方の塾風
大阪を去って江戸に行く
始めてアメリカに渡る
ヨーロッパ各国に行く
攘夷論
再度米国行
王政維新
暗殺の心配
雑記
一身一家経済の由来
品行家風
老余の人生



著者経歴

 福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)・・・1835~1901。豊前国中津藩士。緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、のち英学に転じる。幕府に出仕し幕府遣外使節に随行して渡米・渡欧。1868年、慶應義塾を創設。啓蒙思想家、教育家


 土橋俊一(つちはし しゅんいち)・・・1921~2000。和歌山市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。『福沢諭吉全集』全21巻の編纂に従事。元慶應義塾大学広報課長


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