「江戸の居酒屋」伊藤 善資
2023/02/01公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(73点)
要約と感想レビュー
江戸時代の人々は、どんな居酒屋を楽しんでいたのでしょうか。江戸のお金持ちは高級料亭を利用していましたが、庶民は現在と同じように居酒屋を利用していました。酒の小売をする枡酒屋(ますさかや)の店先で一杯飲むのを「居酒(いざけ)」といい、これが発展して料理と酒を出す居酒屋となったようです。
江戸の居酒屋の入口には縄のれんが下がり、テーブルはなく、江戸っ子は腰掛けに座って手酌で一杯。煮物などを肴に酒を飲んだのです。ざっくり計算すると一人あたり毎日二合は飲んでいたというので、「江戸の呑み倒れ」といわれるように毎日酒を飲んでいたことがわかります。
・当時の江戸の人口は約百万人で・・飲酒人口が半分だとして一人当たり一年約2.4樽=8.4斗=一升瓶で84本。一ヶ月で7本となり一日平均二合半ほどとなる(p67)
江戸っ子が大好きな食材は、江戸三白(さんぱく)とよばれ白飯と大根、豆腐でした。そのため江戸時代の居酒屋では、豆腐や芋、コンニャクの味噌田楽が人気となっていました。やがて、野菜、ハンペン、油揚げなどを煮込んだものを「おでん」と呼ぶようになり、田楽に取って代わったという。
鍋は一人用の鋳物の浅い小鍋(こなべ)で提供され、ゆでタコ、鶏の肉、芋の煮ころがしなどが提供されていたという。1718年には江戸近郊で捕獲された農害獣の猪や鹿の肉を食べさせる「ももんじ家」が病気治療のための「薬喰(くすりくい)」として開店しています。
・江戸時代の「居酒屋」を描いた絵を見ると、店先に「ゆでタコ」や「野鳥」が吊るしてあったり、皿に盛った煮魚などの料理が並んでいる(p90)
江戸には一年中藩邸を管理する勤番武士が多数おり、仕事が暇なので毎日のように酒と料理を持ち寄って飲み会を開いていたという。昔も今も日本人は居酒屋で顔を赤くしてくだを巻いていたのです。
江戸っ子は、一年中熱燗(あつかん)で日本酒を飲んでいたとか、上方から酒樽で運ばれてくる下り酒が熟成されて旨くなったなどクイズのネタになりそうな一冊でした。伊藤さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・酒屋は江戸の各地で軒に「酒林(さかやばし)」を吊るして営業していた・・・本来は酒造業者が杉の葉を球状に作った「志るしの杉玉」というもの(p48)
・下り酒・・下りものとは、上方から江戸に送られてくる・・上方から「下る」ものは品質がいいもので、それに比べて江戸近郊のものは品質が劣り「下らないもの」(p60)
・家の一部を工房にして屋内で仕事をするのが居職(いしょく)・・半日で仕事を切り上げ、余りの時間を遊びに費やすのを美風とした(p98)
【私の評価】★★★☆☆(73点)
目次
1章 酒の始まりから居酒屋誕生へ
2章 江戸の酒と居酒屋
3章 居酒屋の風景
4章 居酒屋の肴
5章 江戸は呑み倒れの町
著者経歴
伊藤善資(いとう よしすけ)・・・1951年、東京本郷生まれ。1973年慶應義塾大学経済学部卒業後、出版社入社。経済誌編集記者、書籍編集部長をへて2006年退社。現在、日本酒造文化史を中心に研究活動を続ける。エッセイスト。日本醸造協会会員、酒史学会会員。「幻の日本酒を飲む会」会員。俳句誌『澤』会員。日本酒に関する講演や雑誌などへの執筆も手がける
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