「怪物商人 大倉喜八郎伝」江上 剛


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【私の評価】★★★☆☆(70点)
■江戸末期、大倉喜八郎は、
新潟から東京に出て
商売をはじめました。
明治維新という激動の中で、
これから戦争になるという
確信のもとに武器商人となります。
大倉喜八郎の有名なエピソードとしては、
旧幕府軍から連行され、
なぜ武器を売らないのか、
売らなければ殺すと脅されたときに、
「前に売った武器の支払いがない。
払ってもらえれば売る」と主張し、
その場を逃れたという。
・俺には、進むべき道が、間違いなく見えている。
俺は、時代に食らいつき、食い破り、
日本一の商人になる。きっとなってやる。(p27)
■明治政府が岩倉使節団を欧米に派遣したとき、
大倉喜八郎はなんと自費で
使節団を追うように欧米を旅行しています。
その資金は四万円。
銀座の土地が一坪五円で、
八千坪が買える金額だったという。
大倉喜八郎は全財産をかけて
欧米を自分の目で見て、
時代の流れをつかもうとしたのでしょう。
また、
岩倉使節団とも親交を持とうと
考えていたと思われます。
・渋沢とともに大阪紡績会社を設立した・・・
また東京瓦斯会社をやはり渋沢らと共に設立し、
実現はしなかったが、電話会社まで作ろうとした・・
軍服製造を目的とした千住製絨所の原料となる
羊毛の輸入を一手に引き受け、その販売も担った(p212)
■大倉財閥は、大成建設、
大日本麦酒(戦後サッポロビールとアサヒビールに分割)
日清オイリオグループ、日清紡グループ
ホテルオークラなどとして
現在まで続いています。
時代の流れをつかみ、
思い切って投資する姿に
明治人の心意気を感じました。
江上さん
良い本をありがとうございました。
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■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・武士のどこが偉いというのか。
何もしないで威張っているだけではないか。
俺は、武士を超えてやる・・
そのためには、こんな馬鹿げた田舎町で、
武士の顔色を見ながら汲々として
暮らすことなどできない(p8)
・喜七の生まれたお祝いに銀座中、
いや日本中を明るくしてやろうと思って企画したんだ。
さあ、喜七にとくとアーク灯を
見せてやってくれ(p209)
・アジアの国を商売で豊かにしていく。
そして、日本と協力して西欧と伍して、
さらに大きな商売をする。
それが俺の夢だ(p224)
・欧米人は契約の際、「これで契約しますが、
あなたには儲けがありますか」と念を押してくる。
こちらが「結構です。これで多少とも儲けがあります」
と応えると、「それは結構なことです」と、
そこで初めて握手となる(p314)
・『疑事無功、疑行無名』・・
趙の武霊王が、国内の改革を進めようとする時に、
家臣が何事も自信を持って行わねば、
功も名誉も得られないと
進言したという故事なんだが、
とにかく私も喜八郎さんも自信を持って、
迷わず、自分の道を進もうではないか(p74)
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【私の評価】★★★☆☆(70点)
■目次
進むべき道
乾物屋から鉄砲屋へ
商人は商売が命
義を見てせざるは、勇なきなり
天はみずから助くるものを助く
ロンドンで恩を売る
時代の風を受ける人
運命の出会い
自分の意志が道を拓く
独立運動を援助する
戦争で儲ける男
軍人の役割、商人の役割
支援に自分の名は出さず
男子の本懐
捨て石となっても
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