「松下幸之助とその社員は逆境をいかに乗り越えたか」唐津 一
2007/09/21公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(78点)
要約と感想レビュー
■NTTで働いていた著者は、
松下電器の真空管の品質が悪いので、
松下電器の京都工場にたびたび
文句を言っていました。
そうして京都工場に出向いていた著者は、
京都工場にやってきた松下幸之助に会うことなり、
著者は松下幸之助に文句を言いながら、
品質の大切さをとうとうと説いたのです。
■松下幸之助は、まだ30歳の著者の話を
じっと聞きながら、最後に
「そら、いい話や・・・うちの幹部にも話してほしい」
と松下で話をすることになりました。
その後、著者は松下幸之助から、
松下に来ないかと誘われ、
松下電器工業に転職するのです。
■著者は、その後、二十年間
松下幸之助に仕えるのですが、
「この人にはかなわないな」
というのが実感だったようです。
当時は戦後の混乱で、技術の進歩はありましたが、
好不況の波があり、不況のときの
苦労話が印象的でした。
■たとえば、
ワープロぐらいの大きさの電卓を作っていたら、
ポケットサイズの電卓が他社で開発され、
不良在庫の山ができたとき、
松下幸之助は在庫の廃棄を命じています。
時代遅れの電卓を無理に顧客に販売しても、
顧客のためにならないと考えたのです。
・電卓・・六億円の不良在庫・・・「これはもう売れんのやろ。技術が突然変わって自転車が急に自動車に変わったようなものや。それを無理して買っていただいても、買った方は後悔されるだけや。これだけは誰も予想できんかった。他の会社も同じや。仕方がない、全部捨てい。よう捨てんかったら、わしが買うたるわ。これでおしまい」このひと言で会議は終わった。(p28)
■また、不況で仕事がないときに、
無理に安くして仕事を取ることを
戒めています。
仕事をしないことの損失は高が知れていますが、
仕事で失敗すると膨大な損失が生まれる
可能性があることを知っていたのです。
・商売をしないところから生じる損害というものはしれたものだと思うのです。ピシャッと一つの工場を休んでも、その損失はだいたい給料と通常経費です。けれども、売って損をするというのは大きいですよ。(松下幸之助)(p70)
■そして、松下幸之助の考え方は、
「好況よし、不況もまたよし」
というものです。
不況ですと、買うほうも慎重になるため、
良い会社が選ばれることとなり、
不況だからこそ良い会社が伸びるのです。
・好況時には少々不勉強であっても、サービスが不十分であっても、まあどこでも注文してくれるわけです。・・・ところが不景気になってくると、買う方は、十分に吟味し、経営者も金見されて、そして事が決せられることになるわけです。(松下幸之助)(p50)
■他の本にも書いてあることが多かったのですが、
松下幸之助の入門編として良い本だと思います。
★3つとしました。
この本で私が共感した名言
・松下さんは、もし自分が総理大臣だったら実業家を一堂に集めて次のような演説をしてみたい、と述べている。「・・・商品の値段を上げなくても儲かる方法はあるはずです。・・・値を下げて儲けなさい。それには血のにじむような苦心がいります。知恵がいります。努力が いります。それをやってください。(p66)
・紙一重の差にすぎなくても、日々、謙虚に自己反省し、改善の努力をした会社と、しなかった会社とでは、長い年月の間に大きな差ができるというわけである。(p187)
・日本の企業は、アメリカの企業と同じように能力主義を導入し、社員の努力に対してお金で報いようという姿勢が強くなっているけど、気をつけたほうがいい。お金というのは麻薬と同じで、はじめはよく効くけれど、その後、どんどん増やしていかないと聞かなくなってしまう(ピーター・F・ドラッカー)(p39)
▼引用は、この本からです。
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【私の評価】★★★☆☆(78点)
著者経歴
唐津 一(からつ はじめ)・・・1919年生まれ。大学卒業後、48年日本電信電話公社入社。松下幸之助の強い要請で、61年松下通信工業に転職。78年に常務取締役、84年に松下電器産業技術顧問。
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