「東アジア 民族の興亡―漢民族と異民族の4千年」大林 太良 生田 滋
2007/05/19公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★☆☆☆(67点)
要約と感想レビュー
中国、中華帝国とはなんなのか。漢族とはなんなのでしょうか。
中国大陸では秦や隋が統一を果たし、それを受けて大きく発展したのが漢と唐です。ただ、唐は北方から中国に侵入した移民族集団の発展に起源があります。つまり、唐の大宗は630年に牧畜民のテングリ・カガンとなり、漢族と牧畜民を併せて支配する中華帝国の支配者となったのです。
この北方移民族集団の中華帝国の伝統は以後金、元、清へと受け継がれ、1911年の辛亥革命に至るまで続いているというのです。つまり、征服者である北方移民族集団がその文化を漢族に押しつけ、また漢族がかれらの文化を摂取したのです。
たとえば馬に乗ること、人々が椅子に腰かけることも北方の文化なのです。それまで漢族は、室内では床に敷物を布いて座っていたという。
言語についても、広東省で話されている広東語と、浙江省で話されている浙江方言(上海語)とは、お互いにまったく理解できないほど異なっています。したがって漢族をいわゆる「民族」として定義することは難しいのです。
教科書のような本ですね。良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・中国社会の大きな特徴の一つは「同姓不婚」の制度である。これは「姓」を同じくする男女は乾坤することができないという制度である。(p60)
・漢の時代の木簡の長さは漢の一尺にあたる23センチ、幅1センチのものが標準で、長さ二尺のものを檄(「檄を飛ばす」というのはここから来ている)、三尺のものを槧(ざん)といった(p88)
・大和朝廷が唐に初めて使節を派遣したのは630年のことである。こうした積極的な唐への接近政策は、それを推進した人々と、従来からの百済との同盟関係を重視する人々との間に深刻な対立を生んだ。645年の大化の改新は朝廷内部のそうした対立の爆発であった(p122)
日本経済新聞社
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【私の評価】★★☆☆☆(67点)
目次
第1章 東アジア世界とは
第2章 東アジア世界の大サイクル
第3章 古代帝国の形成と崩壊
第4章 胡漢の帝国
第5章 中華帝国の成立
第6章 モンゴル世界帝国
第7章 東アジア世界の分裂
第8章 中華帝国の栄光
終章 東アジアのなかの日本民族
読んでいただきありがとうございました!
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