「新版 六千人の命のビザ」杉原 幸子
2006/04/28公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★☆☆☆(69点)
要約と感想レビュー
1940年7月、バルト三国の一つリトアニアの日本領事館を、数百人のユダヤ人が取り囲みました。当時、ドイツとソ連との間で結ばれた独ソ不可侵条約には、ドイツとソ連によりポーランドを分割し、バルト三国をソ連へ併合させるという秘密の協定がありました。西ポーランドに入ったナチスは、苛烈なユダヤ人狩りを行い、それを逃れてユダヤ人が隣国リトアニアに逃げてきていたのです。
その当時、リトアニアに領事として赴任していた杉原千畝(ちうね)は、ビザ発行を本省に打診します。しかし、ビザ発行は外務省から拒否されます。実際、ユダヤ人が各国の大使館にビザを求めて殺到しましたが、手を差しのべる大使館はほとんどなかったのです。
・ビザを待つ人群に父親の手を握る幼な子はいたく顔汚れをり(p40)
この本では、「内務省が大量の外国人が日本国内を通ることに治安上反対している。ビザ発行はならぬ」という回答に、「私は外務省に背いて、領事の権限でビザを出すことにする」と著者に伝えたと書いてあります。ビザを発行するためには、パスポートだけでなく旅費や滞在費を所持していることが条件であり、その条件を満たしているユダヤ人は少なかったといわれています。
悩んだ杉原千畝(ちうね)は、外務省の命令に背き、ビザを発行することを決断します。そして、杉原千畝(ちうね)は日本に帰国すると、外務省の人員削減のなかで退職を余儀なくされました。
・「私のしたことは外交官として間違ったことだったかもしれない。しかし、私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。・・・私の行為は歴史が審判してくれるだろう」私の顔を見ながら、しみじみとした声で話していました。(p177)
自分が同じ立場であれば、そう行動できたかわかりません。そうした日本人がいたということを知ることのできる一冊として★2つとしました。
この本で私が共感した名言
・岡崎次官に「例の件によって責任を問われている。省としてもかばい切れないのです」と言われたことを聞きました。(p150)
・「日本人は中国人に対してひどい扱いをしている。同じ人間だと思っていない。それが、がまんできなかったんだ」満州国外交部を辞めた理由を尋ねた私に、夫は言葉少なにそう語りました。(p34)
・ナチスに追われたユダヤ人を満州国に受け入れ、ロシア国境沿いに自治区を与えて同盟を組み、ロシアの南下政策を共同の力で防ぐという極秘計画があったのです。(p45)
【私の評価】★★☆☆☆(69点)
目次
第1章 逃れてきた人々
第2章 華やかなヨーロッパ
第3章 暗雲の広がり
第4章 敗戦の予感
第5章 囚われの身
第6章 祖国の苦い土
第7章 再会
終らざるドラマ
著者経歴
杉原 幸子・・・1913年生まれ。杉原千畝(すぎはらちうね)の妻。
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