【書評】「関西奠都論-「副首都構想」を超えて、「東西両都」で日本創世!」松沢 成文
2026/03/23公開 更新
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【私の評価】★★★★☆(83点)
要約と感想レビュー
「副首都構想」とは
自民党と連立した日本維新の会が、「副首都構想」を掲げているということで、手にした一冊です。「副首都構想」とは、大阪に東京のバックアップ機能を持たせようというものです。
東京一極集中はメリットもありますが、災害対策や防衛という観点から言えば、保険として「副首都構想」は合理的ではないでしょうか。
この本では、過去の遷都の歴史についてまとめたものとなっており、「副首都構想」を考えるための参考となるはずです。
東京(首都圏)は、人口増による通勤地獄、交通渋滞、地下や物価の高騰、都市災害の危機に悩まされ、逆に地方は限界集落、雇用喪失、農村崩壊、森林荒廃の危機にある(p17)
海外の遷都の事例
海外でも首都をどこにするのかは、大きな勢力同士で対立するのは、避けられないようです。
例えば、アメリカでは独立宣言後、対立する南部と北部との境界上に首都ワシントンD.C.を新たに建設しています。
オーストラリアでは、シドニーとメルボルンの2大都市の間に新首都キャンベラを建設しています。
カナダではイギリス系住民とフランス系住民が対立し、オンタリオ州とケベック州の中間地点にあるオタワを首都としています。
南アフリカも独立時に首都誘致で対立し、国会はケープタウン、行政府はプレトリア、最高裁はブルームフォンテーンに置かれることになりました。ちなみに、最大都市ヨハネスブルクには首都機能はありません。
また、諸事情により首都を移転する国もあります。
例えば、トルコでは第一次大戦での敗戦による共和制の国家建設のために、1923年イスタンブールから中央部にあるアンカラへ首都が移転しています。
ブラジルでは首都のリオデジャネイロから、新首都ブラジリアを建設し、1960年に首都移転しています。
パキスタンは1967年、首都の過密・政情不安対策として、港湾都市カラチから新都市イスラマバードへ遷都しています。
変わったところではイギリスでは、中央行政機構を各地方都市へ移転・再配置しています。各省大臣とその政策スタッフはロンドンに残り、それ以外の部門が移転しているのです。
ロシアでは、18世紀のはじめ1712年にピョートル大帝がロシア帝国の首都をモスクワからサンクトペテルブルクに移転した・・20世紀に入りロシア革命が起こり、1918年モスクワに遷都された(p44)
日本の遷都の歴史
明治維新で、首都が京都から東京となった経緯を見ていきましょう。
1868年、鳥羽伏見の戦いで新政府軍が幕府軍に勝利すると、新政府の大久保利通は太政官会議において「大阪(浪華)遷都の建白書」を提出しています。
ところが、江戸が無血開城となり、江戸への遷都論が主張されるようになるのです。
後に「日本近代郵便の父」として有名になる前島密(ひそか)は、「江戸遷都論」を提言していました。
佐賀藩の江籐新平は天皇が東方を統治するための場所として、江戸城を「東京」と定め、「東京遷都論(東西両京論)」を主張しました。
長州藩の木戸孝允(たかよし)は、京都は文化的首都、大阪は経済的首都、東京は政治・行政の首都として「三京鼎立(ていりつ)論」を主張しました。
実際はどうなったかといえば、1868年明治天皇から「江戸を称して東京と為すの勅」が発せられ、東京は帝都・京都と同格となります。
その後、天皇は東京に行幸し、京都に戻ります。しかし、翌年1869年(明治3年)2度目の東幸が実行され、国家の最高機関である太政官も東京に移転し、東京城を「皇城」と称することとされました。こうしてこれ以後、天皇は東京を拠点に活動することになるのです。
京都は明治新政府に結果として見事に裏切られたのである・・・新政府は、実質的に東京遷都であるにも拘らず、それを宣言・公表しなかった(p154)
最近の首都移転構想
明治維新後にも何回か、遷都のチャンスがありました。
1886年(明治19年)、建築局総裁の井上馨が、群馬県内への遷都案「上州遷都論」を伊藤博文総理大臣に建議しています。
1923年(大正12年)の関東大震災では、陸軍参謀本部が首都移転について検討しています。第一候補は朝鮮半島の京城の南の竜山、第ニ候補は兵庫県の加古川、第三候補は、東京の八王子付近でした。
1950年代には、河野一郎建設大臣が「新首都建設構想」をまとめますが、河野大臣の急死とともに消えました。
1990年(平成2年)には衆参両院で「国会等移転に関する決議」が採択され、「国会等移転調査会」が設置され、1999年に審議会答申がとりまとめられ、北東地域の「栃木・福島地域」と東海地域の「岐阜・愛知地域」、「三重・畿央地域」が候補となっていました。この、首都機能移転の議論は、石原慎太郎氏が首都機能移転反対を掲げて東京都知事選で圧勝。国会での議論は停滞し、やむやになってしまいます。
「副首都構想」は利害関係者が多いので、憲法改正よりハードルが高いのかもしれません。抵抗を減らすために「副首都構想」のような中途半端なところから進めていくしかないのでしょう。
松沢さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・「データセンター」が東京首都圏に集中立地している(p194)
・現代に於ける日本の首都については法的な定義がない(p31)
・天皇の遷都宣言に基づき、「天皇が御座し政治を司る地」として遷都が行われてきた。ただし、794(延暦13)年に、桓武天皇によって平安京への遷都が行われて以来、遷都に関する宣言は発出されていない(p31)
▼引用は、この本からです

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松沢 成文 (著)、ワニブックス
【私の評価】★★★★☆(83点)
目次
第一章 東西両都で日本を改造しよう!
第二章 首都とは何か?
第三章 日本古代の都づくり
第四章 中世封建時代の首都機能の分権
第五章 幕末・明治維新の奠都・遷都論
第六章 日本近代の首都遷都論
第七章 東京一極集中は是か非か
第八章 皇室の歴史的ルーツは関西
第九章 皇居関西移転で東京も再生
第10章 皇室の故郷・関西への奠都
第11章 東西両都構想の実現に向けて
著者経歴
松沢 成文(まつざわ しげふみ)・・・1958(昭和33)年神奈川県生まれ、慶應義塾大学卒。松下政経塾3期生。1987年、神奈川県議会議員(2期)。1993(平成5)年衆議院議員(3期)。2003年神奈川県知事(2期)。2013年より参議院議員を務める(現在3期目)。政治活動の傍ら、歴史研究と著作活動を展開。血液型A型。妻、娘、孫、柴犬と3世代同居
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