人生を変えるほど感動する本を紹介するサイトです
本ナビ > 書評一覧 >

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」三宅 香帆

2024/08/15公開 更新
本のソムリエ
本のソムリエ メルマガ登録[PR]

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」三宅 香帆


【私の評価】★★★☆☆(70点)


要約と感想レビュー

読書をしたくて会社を辞める

著者は就職してから、週に5日間毎日9時半から20時過ぎまで働くことで、好きだった読書ができなくなったことにショックを受けました。仕事で疲れ果てたのか本を読む時間はあるのに、スマホを見て時間を潰してしまう自分に気づいたのです。


どうしても読書をしたい著者は、なんと会社を辞めて書評家となったという。著者は、自らの判断で仕事と読書を両立させる道を選んだのです。私はその経緯と決断の思考を知りたいと感じました。そして、著者は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」考え始めたのです。


著者は、読書で得られる知識とは自分が知りたいこと以外に、予想していなかった展開や偶然出会う情報というノイズが含まれているので読書が避けられるようになったのではないかと分析しています。現代はノイズのない情報が求められているから、ノイズの多い読書をしなくなったという著者の仮説は、ノイズの定義も含めて理解が難しく感じました。


単に疲れて読書ができず、楽なスマホやテレビや動画に逃げてしまうだけなのだと思うのですが、もう少し著者の言葉を分析しながら再読してみました。


「パズドラ」は、戦前においては「演劇や映画」といった受動的な娯楽、あるいは「大衆向け雑誌」といった娯楽要素の大きい雑誌を読むことに相当するのではないだろうか(p95)

自己啓発書は出世するためだけの内容

この本では明治にさかのぼって、読書の位置づけについて考察しています。


明治時代とは、日本語がやっと今の形を作りつつある時代であり、本を読む趣味は、エリートやインテリ層のものでした。これは事実でしょう。そして、1871年(明治4年)に「西国立志編」が売れたのです。著者は、「西国立志編」を労働を煽る自己啓発書と表現しています。「労働を煽る」という受け止めはどこから来ているのでしょうか。


西国立志編」は、自助努力の精神と、身分ではなく日々の努力によって成功するということしか書いていないと著者は説明しています。著者いわく「西国立志編」は、現代の自己啓発書と同じように男が仕事で出世するのための内容だというのです。


私に言わせれば、努力によって成功するというのは真理であり、自己啓発書は男向けだけではないと思いますし、労働を煽るという表現も読者に誤解を与えるのではないでしょうか。著者の思想の偏りに、少し疑問を感じはじめました。


西国立志編」が打ち出す「修養」の思想は、・・・現代の自己啓発書にも通じる「男性たちの仕事における立身出世のための読書」の源流はまさにここにあった(p47)

読書がないと自由経済に従属する人になる

さらに著者は、就職氷河期時代の自己啓発書は、他人や社会といったコントロールできないもののは捨て置き、コントロールできる自分の「行動」の変革を促す内容となっているとしています。そしてコントロールできないことは「ノイズ」として捨てられ、その「ノイズ」は資本主義の仕組みに疑問を持たせるような知識であり、そうした知識を得られるのが読書であるというのです。


規制緩和による就職氷河期に苦しむ若者は、自分の社会的階級を無効化して勝者になるべくインターネットや自己啓発書の中のノイズのない知識を求めたと著者は説明しています。結果して、自由競争市場というものが、長時間労働を強制し、ノイズのある読書ができなくなってしまった。そのため、自由競争市場という社会のルールを正そうという発想のない若者を作ったと著者は分析するのです。


就職氷河期の若者にとって、自分の社会的階級を無効化して勝者になるべく求めていたものが、まさにインターネットや自己啓発書の中に存在していたのである(p203)

自己責任は組織や政府によって都合がいい

さらに、自分の「行動」の変革を促す自己啓発書は、「自分が決めたことだから、自分の責任だ」と考えるため、自由経済というルールを疑わない人が増えて、組織や政府にとって都合の良い内容でであると評価しています。


何度も読んで見えてきたのは、著者の言いたいことは、自己啓発書は格差社会をなくす知恵であり、それでは格差を生む自由主義経済を否定する人が少なくなってしまう。だから、自己啓発だけではない読書によって、自由主義経済を疑う人が増える社会にならなくてはならないと主張しているように見えるのです。


はたらけどはたらけど、暮らしは楽にならない。それどころか、私たちは本を読む余裕さえなくなっているというのが著者の感覚なのです。


「自分が決めたことだから、失敗しても自分の責任だ」と思いすぎる人が増えることは、組織や政府にとって都合の良いこと・・ルールを疑わない人間が組織に増えれば、為政者や管理職にとって都合の良いルールを制定しやすいからだ(p214)

自分で自分を搾取することをやめる

最後に、著者は90年代前の自己啓発書は「心構え」「姿勢」に終始していたが、90年代の自己啓発書は、読んだ後に取るべき「行動」を明示していると説明していますが、著者の説明は間違いです。自己啓発書は書籍によって偏りはありますが、昔も今も、精神的な面と実際の行動がセットなのです。90年代に変わったというのであれば、統計的データで明示すべきでしょう。


また、著者は全身全霊をやめる、自分で自分を搾取することをやめて、半身で働くことを推奨しています。私は、そこは個人の自由であると考えます。人は、仕事でも遊びでも自分で決めることができるはずなのです。


読書史と労働史の事実の部分は再確認ができてよかったのですが、解釈に「階級」「労働」「女性」「格差社会」という視点を無理に盛り込もうとしたことが間違いのはじまりと感じました。三宅さん、良い本をありがとうございました。


無料メルマガ「1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』」(独自配信)
3万人が読んでいる定番書評メルマガ(独自配信)です。「空メール購読」ボタンから空メールを送信してください。「空メール」がうまくいかない人は、「こちら」から登録してください。

この本で私が共感した名言

・江戸時代、読書といえば朗読だったのだ(p35)


・「テレビ売れ」に怒る作家、「TikTok売れ」に怒る書評家(p127)


・カルチャーセンターが自分の学歴コンプレックスを埋める場であった・・・「教養」を求めた男性たちと同様の行動(p157)


・読書をすることで自分の階層を「労働者階級とは違うんだ」と誇示したい新中間層=当時のサラリーマン・・それはまさに円本全集のターゲット層だった(p87)


・自己啓発書やビジネス書をエリート層がひややかに見つめる様子・・蔑視すら感じる・・日本の労働と読書をめぐる問題なのである(p53)


▼引用は、この本からです
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」三宅 香帆
三宅 香帆、集英社


【私の評価】★★★☆☆(70点)


目次

まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点―1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします



著者経歴

三宅香帆(みやけ かほ)・・・文芸評論家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。


この記事が参考になったと思った方は、クリックをお願いいたします。
↓ ↓ ↓ 
 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


ブログランキングにほんブログ村



<< 前の記事 | 次の記事 >>

この記事が気に入ったらいいね!

この記事が気に入ったらシェアをお願いします

この著者の本


コメントする


同じカテゴリーの書籍: