「昭和史発掘 開戦通告はなぜ遅れたか」斎藤 充功
2023/07/15公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(82点)
要約と感想レビュー
「パール・ハーバーを忘れるな」の真実
太平洋戦争での対米開戦通告が遅れたことは、「パール・ハーバーを忘れるな」がアメリカのスローガンとなったことからも歴史の重要事件であるといえるでしょう。この本では、日本で定説となっている「ワシントンの大使館で野村、来栖(くるす)両大使は大使館内で待っていたが、通告文が浄書されるのが遅れたために、米国務省への通告が遅れた」というストーリーに対し、米国務省へ向かう前に葬儀に参加していたのではないか、という新説を検証するものです。
この情報源は三つあります。一つは、当時、在米日本大使館で一等書記官を務めていた松平康東が雑誌の対談で「その日、新庄大佐の葬儀が予定どおり終わらず、葬儀を中座することができず、日本の最後通牒をハル国務長官へ伝えることが遅れた」と証言していることです。
二つ目は、新庄大佐が所属していた陸軍経理学校の同窓会で、「新庄大佐の葬儀が開戦の当日、ワシントンの教会で行われ、葬儀に野村大使も出席していた」ことが事実として伝えられていることです。
そして三つ目は、最後通牒した野村大使本人が、雑誌の記事の中で、「当日はたまたま新庄大佐の葬儀が行われており、且暗号の解読とタイプライティングにタイピスト使用禁止等々のことから間に合わず」と書いているのです。
・松平康東の「対談記録」・・大使館でキリスト教式の葬儀がありました・・葬儀が終わるや否や、野村、来栖の両大使は国務省にむけ、フルスピードで自動車を走らせ、ハル国務長官に面接して、日本の最後通牒を伝えた(p34)
関係者の証言の食い違い
対米開戦通告が遅れた当日の証言については、関係者の証言が食い違う点が多く、だれかが組織的に口裏を合わせている可能性があります。証言が食い違うところをあげてみましょう。
海軍武官補佐官の実松譲(さねまつゆずる)中佐は、大使館の郵便受けには電報がつまっていると証言しています。しかし、電信官の一人は「電報は誤配を防ぐために配達員は必ず受取人のサインを要求する。不在であれば、一旦持ち帰って再度、配達してくる」と証言しているのです。
また、実松は「(解読を担当する電信室)当直はミサに出かけていた」と書いていますが、来栖特命全権大使に同行していた結城一等書記官は東京裁判で、「13通の解読を夜半前に完了し、14通目を待つだけとなった」と証言しているのです。
当時、在米日本大使館で一等書記官を務めていた松平康東氏は、「新庄の葬儀に野村、来栖両大使も出席していた」としていますが、当時、日本大使館の三等書記官であった八木正男氏は「新庄さんの葬儀のとき、大使館員の姿は、私以外見当たりませんでした」と証言しているのです。
・前の晩には、南米に転勤する寺崎英成一等書記官の送別会が大使館近くの中華料理店「チャイニーズ・ランターン」で遅くまで行われていた(p16)
宣戦布告をしないことを前提とした開戦決定
著者は12月1日の御前会議では、宣戦布告をしないことを前提とした開戦決定がなされており、その直後に東條首相が昭和天皇から「宣戦布告は開戦前に行うこと」を伝えられたと、東京裁判で東條は証言しています。ただ、開戦前日の12月7日に、東條英機総理大臣が森山法制局長官と堀江枢密院書記官長、星野内閣書記官長の三人を呼んで、宣戦布告の時間について「夜討ち朝駆け」が兵法の理と語っていたと諸橋襄(のぼる)書記官のインタビュー記録があるという。
また、米国の資料で、「昭和天皇は、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、自分の意思ではなく、東條英機のトリックにかけられたからだ」と、マッカーサーに語ったという記録があること。最後通牒であることを告げる14通目が当日早朝大使館に到着したこと、タイピストを使ってはいけないと制限されたこと、などを考えれば本当のところはどこにあるのか、誰もが真実はどこにあるのか推理したくなるではないでしょうか。
1994年になって外務省は「通告文遅延」の責任が外務省にあることを正式に認めましたが、ワシントンの大使館の野村大使は枢密院顧問官となり、井口参事官は外務事務次官となるなど、外務省に責任はないと考えていたように見えます。もう少し終戦にプロセスについて調査してみたいと思います。斎藤さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・終戦翌年の46年に、吉田茂外相の命で岡崎勝男総務局長が委員長になって調査委員会が組織された・・不可解なことに、その被調査人の中に肝心の野村、来栖、松平の名はなかった(p63)
・野村(吉三郎))は、外交については素人ともいうべき予備役の海軍大将であった(p13)
・新庄・・数字は嘘をつかないが、嘘が数字をつくる(p146)
【私の評価】★★★★☆(82点)
目次
第1章 ワシントンDCで行われたある日本人の葬儀
第2章 なぜ葬儀は隠されたのか?
第3章 陸軍主計大佐・新庄健吉
第4章 対米諜報に任ず
第5章 謎の死
著者経歴
斎藤充功(さいとう みちのり)・・・1941(昭和16)年東京生まれ。ノンフィクション作家。東北大学工学部中退後、民間の機械研究所に勤務。その後、フリーライターに。主に、歴史、国家、情報といったテーマを中心にルポを執筆している
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「日米開戦 陸軍の勝算 (林千勝 著)」という本を読まれた事がありますか。
今までの戦争の見方とずいぶん違いますけどね。