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「徳川家康 知られざる実像」小和田哲男

2023/04/06公開 更新
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「徳川家康 知られざる実像」小和田哲男


【私の評価】★★★☆☆(78点)


要約と感想レビュー

岡崎城主としての家康

NHK大河ドラマ「どうする家康」の歴史考証を担当した著者の一冊です。岡崎城主の子である家康は、8歳から12年間、駿府城の今川家で人質のような立場で暮らしていました。今川家から見れば、家康は人質とはいえ、岡崎城の家臣団をつなぎとめておくための保証のようなものだったのでしょう。


著者は、今川家から家康が嫁をもらっていること、今川義元の軍師太原雪斎(たいげんせっさい)から教育を受けていたことから、今川義元が三河支配のための右腕として育てていたと推測しています。家康の初陣は、岡崎城の松平家臣団を率いて、今川勢として戦っています。その後、今川義元が桶狭間で織田軍に討たれてしまうことで、家康は今川の「植民地」から独立することになるのです。


・(今川)義元が竹千代(家康)に自分も姪を嫁がせていること・・雪斎の薫陶を受けたことなど、純然たる人質にしては厚遇されすぎているという感がある(p19)


家臣こそわが宝

家康がどうして天下を統一できたかといえば、命をかけて家康のために働いてくれる家臣がいたからでしょう。家康は、人を自分のために働かせることができるのです。関ケ原の戦いの前に東軍の軍議で家康は、東軍側についた大名たちの妻子が三成の手によって人質に取られそうになった事実も伝えたうえで、東軍として参戦するのかどうか決断を迫っています。


西軍の石田三成が親しい武将に情報提供せず、「事前の相談がないのはどうしたことだ」と詰問されていることと対照的であると著者は分析しているのです。関ヶ原の戦いでも、家康は手紙で恩賞を約束するなどして工作活動を行っています。その結果、西軍の毛利・吉川隊など三万が動かなかったばかりか、小早川隊一万五千が東軍に寝返っているのです。


・家康自身が「わが宝は、自分の身替りになってくれる家臣が五百ほどいることだ」と述懐している(p241)


バランス人事

徳川家康が人を集め、人を配置し、人を動かす達人であったのは間違いないのでしょう。著者は家康の人事感について、仏のように慈悲深い高力清長と、鬼のように気性の荒い本多重次、そして、中庸の天野康景を任命した「三河三奉行」を例として、バランスがよいと評価しています。


全体としては、たんたんと徳川家康の人生をたどっていく内容でした。家康については、もう少し勉強していきたいと思います。小和田さん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言

・秀頼が、というより、その取り巻きが、大阪城の軍資金を出ししぶった・・関ケ原の戦いにおいては有効に用いられなかった(p163)


・関ヶ原の戦いの主力武器は鉄砲と槍であった・・接近して戦いあっているような場面では、弓を引きしぼっている足軽たちの姿がに受けられる(p166)


・平、水戸、館林、宇都宮のラインで東北の外様大名を押さえ込もうとしていた(p150)


▼引用は、この本からです
「徳川家康 知られざる実像」小和田哲男
小和田哲男、静岡新聞社


【私の評価】★★★☆☆(78点)


目次

第1部 駿府・浜松時代の前半生
第2部 大御所への道
第3部 徳川家臣団の検証



著者経歴

小和田哲男(おわだ てつお)・・・1944年、静岡市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、静岡大学名誉教授、文学博士、公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史。著書に『戦国の合戦』『戦国の城』『戦国の群像』(以上学研新書)などがある。NHK大河ドラマ『秀吉』『功名が辻』『天地人』『江~姫たちの戦国~』『軍師官兵衛』『おんな城主直虎』『麒麟がくる』『どうする家康』の時代考証を担当。


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