「裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐」遠藤 誉
2021/08/04公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(82点)
要約と感想レビュー
中国のチベット侵攻があった1950年頃、小学生であった著者は中国で中国共産党による社会主義体制への移行を目にしていました。同じ頃、習近平の父、習仲勲西北局長は西北区でウイグル人を弾圧する王震に対し融和策を指示しています。これを無視されたため習仲勲は毛沢東の仲裁を受け、王震は更迭されます。王震は習仲勲を深く恨むことになりました。
その後、文革で習仲勲は反党分子として失脚してしまうのですが、文革後に習近平が習仲勲の政治復帰をお願いして廻ったときに、拒絶したのが副主席にまで出世していた王震だったのです。こうした人間関係が、中国では大きく影響するのです。
・1952年・・・新疆(ウイグル)・・・共産党に反抗する者がいたら、王震(おうしん)は周辺を巻き添えにしながらすべてを「反革命分子」として鎮圧し、皆殺しにした(p127)
同じ1952年に毛沢東は地方の行政区の「建国の将」5人を北京に呼ぶのですが、この5人のうち高岡と習仲勲が失脚することになります。高岡は1954年に反党行為をしているとして鄧小平に批判され、あまりの攻撃に自殺するのですが、著者は3つの証拠を示して鄧小平の陰謀であったとしています。
習仲勲は1962年に反党小説を主導したとして失脚するのですが、この本では状況証拠を5つ並べて、鄧小平の陰謀であったと推察しています。鄧小平は毛沢東の信頼を受けている高岡、習仲勲を追い落とすことにより、中央での勢力を拡大したのです。さらに鄧小平はベトナムとの戦争を仕掛け、主席である華国鋒を追い込み、軍権を奪取して毛沢東の死により中国の実質的な指導者としての地位を確立することになるのです。
・文革が起きて近衛兵らが習仲勲に対する批判大会を大々的に開催し、西安に移送して激しい辱めと暴行をくり返していたことを知ると、毛沢東は習仲勲が暴行を受けないようにするために北京郊外にある解放軍の駐屯地のような場所に移して、外界から遮断した(p159)
習近平の父である習仲勲は、少数民族に対して融和的であり、1980年代には経済特区を推進し、発言の自由を主張するなど非常に民主的な政治家であることがわかります。習仲勲は1962年に鄧小平の陰謀により失脚させられ、1978年に復帰するまでの16年間、牢獄生活を送ることになったのです。その後、広東省のナンバー2として再出発した習仲勲は、華国鋒の了解を得て、深セン経済特区制定と改革開放を推進しはじめることになります。
そうした中、1979年にベトナムとの戦争が勃発し、1981年に華国鋒が主席を辞任。改革開放は鄧小平というイメージがありますが、実は、華国鋒の時代に改革開放は習仲勲の手によって開始され、鄧小平がそれを自分のものとしたのです。同じ頃、1979年に習近平が中央軍事委員会弁公室の秘書として軍での経歴を始めており、鄧小平とも顔を合わせていた可能性が高いのです。
・「経済特区」構想の生みの親は習仲勲・・・一定の権限(決定権)を広東に与え、広東が全国の改革開放の中で、一歩先んじて歩むことを認めてほしい(p231)
その後、国家主席にまで登り詰めることとなる習近平は、父の政策とは正反対に、ウイグル・チベットの弾圧と中国共産党による支配を強化しています。その点は著者にも困惑するところがあるようです。
それにしても中国共産党とは陰謀と虐殺(内ゲバ)の歴史でした。日本でも左翼活動家、社会運動家は内ゲバで殺し合う事例が多いのと共通点があるように感じます。どうしてそうなってしまうのかといえば、共産主義とは空想の中で創作したものであり、何とでも理由付けができるため、自分と考えが合わない邪魔な人間を抹殺しようとすればできる仕組みであるということなのでしょう。こうした組織が中国国民を支配し、反日教育を徹底していることが恐ろしく感じました。
遠藤さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・毛沢東は・・・国共合作によって知り得た国民党軍側の軍事情報を日本側に売り渡していた・・・手にした報酬を武器購入だけではなく印刷費などに回し、プロパガンダにより多くの人民の心を毛沢東側に惹きつけていた(p71)
・中国の・・全人口の85%ほどが農民だった・・・そのため地方の地主を吊るし上げて批判大会を開き、できるだけ地主に激しい罵声を浴びせ殴打するだけでなく、棒で殴る、石を投げるなど凶暴な暴力を振るった者が・・・共産党側に優遇されていた(p77)
・「改革開放」・・・華国鋒は鄧小平よりも9ヶ月前に言っていた・・・鄧小平は華国鋒をこのまま国家のトップにしておいたら、改革開放に関して大きな功績を上げてしまいそうなので・・・華国鋒の功績を強引に横取りしたくなったのではないか・・・(p187)
・習仲勲は次のように言っている・・・日本人を信用してはいけない。彼らはいつも奇襲攻撃を仕掛けてくる。かつて中国とアメリカはともに同じ防空壕の中で日本侵略軍と戦った仲間だ(p257)
・習仲勲が「八二憲法」で削除した「中国共産党による指導」は、すべて習近平の手で2018年に復活している(p267)
・江沢民の父親は日中戦争時代の傀儡政権である汪兆銘政権の官吏だった。だから江沢民は日本軍が建てた南京中央大学の日本語学科で学んでいる。日本軍とは仲良くしていたわけだから生活も豊かだった(p307)
・習近平は「謙虚で姿勢を低くして、敵を作らず、誰に対してもニコニコと好感を与え、穏健でいる者が最後に笑う」という政治哲学を学んだ(p314)
【私の評価】★★★★☆(82点)
目次
第1章 西北革命根拠地の習仲勲と毛沢東
第2章 五馬進京と高崗失脚―鄧小平の権勢欲と陰謀
第3章 小説『劉志丹』と習仲勲の失脚―陥れたのは鄧小平
第4章 文革後の中央における激しい権力闘争―華国鋒を失脚させた鄧小平の陰謀
第5章 習仲勲と広東省「経済特区」
第6章 再びの中南海と習仲勲最後の失脚―香港問題と天安門事件
第7章 習近平、鄧小平への「復讐の形」
著者経歴
遠藤 誉(えんどう ほまれ)・・・筑波大学名誉教授 理学博士。1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。
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